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徳大寺実能の編集履歴

2023-03-09 20:25:11 バージョン

徳大寺実能

とくだいじさねよし

徳大寺実能とは平安時代後期の公卿。

概要

藤原公実の子、官位は従一位、左大臣徳大寺家の祖。


プロフィール

時代平安時代
生誕 永長元年(1096年)
死没 保元2年9月2日(1157年10月6日
官位 従一位、左大臣
主君堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇近衛天皇後白河天皇
氏族徳大寺家
父母父:藤原公実、母:藤原隆方の娘
兄弟実行通季実能璋子、他
藤原顕隆の娘、藤原宗忠の娘、藤原通季の娘
公能公親公保、幸子、他

経歴

長治元年(1104年)に従五位下、後に侍従・蔵人・左少将となり元永元年(1118年)に中宮権亮となった。保安2年(1121年)に従三位、翌年の保安3年(1122年)に権中納言、その後検非違使別当となり保延2年(1136年)に権大納言、久安6年(1150年)に内大臣、保元元年(1156年)に左大臣となり翌年の保元2年(1157年)に従一位。


人物

娘幸子は藤原頼長の正室であり摂関家との関係を築いたが保元の乱では後白河天皇側についたという。


外部リンク

徳大寺実能 - Wikipedia


関連タグ

公家 平安時代 閑院流 徳大寺家

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