青梅線
おうめせん
概要
全線にわたり、多摩川に沿って路線が敷設されている。
立川から東青梅までは複線であるが、東青梅以遠が単線のため一駅だけ単線になる青梅行きについては最大のネックになっている。そのため拝島行きや河辺行きを運行して対応している。利用客は、立川~拝島間が多く次に拝島~青梅間が多い。
運行系統としては、東京~青梅間【中央線直通】と立川~青梅間、青梅から奥多摩間に分割されているが、早朝深夜にかけては立川~奥多摩間で直通運転も行われており、1、2本程度だが早朝に奥多摩始発東京行きが存在する。データイムには青梅特快【青梅線内は各駅停車】が運行されているが、一部は五日市線武蔵五日市始発(休日のみ)や八高線の高麗川始発もある。
また、土休日にはホリデー快速【特快に相当】おくたま・あきがわ号(下り新宿始発・上り東京行き)が運行されており、おくたま号が直接奥多摩まで乗り入れている。
この他、平日には特急「おうめ」が朝に上り1本、夜に下り1本運行されている。
かつては青梅ライナー【E257系が担当】が運行されていたが、青梅線内では上り列車(東京行き)に限りライナー券を手売りで発売していた(中央ライナーなどのほかのライナーは専用の券売機がホームに設置されているが、青梅線内には券売機が設置されていないため。なお、青梅ライナーの下り列車のライナー券は当然ながら中央ライナーの券売機で購入可能)。
立川~青梅間は中央線の支線的存在でもあるため、中央線内でダイヤが乱れた場合とばっちりを受ける場合が多い【青梅特快の運休・中央線への乗り入れを中止して線内往復など】。
青梅以遠は完全なローカル線で4両編成(ただし、ホリデー快速は6両)の列車が毎時1~2往復程度に減じ、奥多摩駅を除くすべての駅は無人駅となるが、かつては石灰石運搬列車でにぎわっていた(1998年に廃止)。なお、2018年9月14日より、沿線に自然の中でアウトドアやアクティビティを楽しめる行楽地がおおく存在することから「東京アドベンチャーライン」という愛称がついた。
2023年3月のダイヤ改正より青梅〜奥多摩間がワンマン化される予定で、対応車両には八高線同様に各車両の側面四隅に監視カメラが取り付けられている。E233系では初のワンマン化でもある。また、この影響により「ホリデー快速おくたま」は青梅駅止まりに変更。青梅〜奥多摩間は臨時列車での運行とし青梅駅での乗り換えが必要となり東京駅からの直通が廃止される。
略歴
もともとは青梅地区および奥多摩地区の石灰石輸送のために生まれた私鉄路線であった。ここでは国有化までの略歴を記す。国有化・民営化以降の出来事はWikipediaを参照されたし。
1894年 立川~青梅間に青梅鉄道として開業(軌間762mm)。
1895年 青梅~日向和田間開業(当初は貨物駅、後に旅客化)
1908年 国鉄直通のため1067mmに改軌。
1920年 二俣尾まで開業
1923年 電化(直流1200V)
1929年 青梅電気鉄道に社名変更・御嶽まで延伸
1930年 架線電圧を1500Vに昇圧
1944年 国有化。子会社・奥多摩電気鉄道【現・奥多摩工業】によって延伸工事が行われた御嶽~奥多摩【開業当時・氷川】間も完成と同時に国有化
余談
国有化されても法人としての青梅電気鉄道は1995年まで清算会社としてひっそりと存続していた。本社は法人消滅まで青梅駅の駅舎内【駅舎地下】にあった。戦時買収された路線の買い戻し運動の際の受け皿として存続していたが、叶わず清算会社に転換後長い時を経て消滅した。
子会社の奥多摩電気鉄道は奥多摩工業に社名変更して石灰石工業会社として長年にわたり青梅線の貨物輸送の大荷主となった。
また、バス部門は奥多摩振興に社名変更後、後に西東京バスとなった。
唯一の貨物支線が福生駅から多摩川の河原まで伸びており(福生駅~福生河原貨物駅間1.8㎞)、砂利採集を目的に運用されていたが、1959年に廃止となった。
奥多摩電気鉄道の当初ルートは現在とは大きく異なり南側をトンネル・鉄橋を多用して通過する予定だった。(参考)