曖昧さ回避
- 北海道の民話に登場する小樽にあったコタンの村長の末娘で、毎年娘を生贄として求めていた大蛇の生贄になることを襲撃から10年目に志願して、マキリ(小刀)を持ち猟犬を連れて洞窟に向かい退治した、とされているが……。
- 『Fate/GrandOrder』に登場するシトナイとロウヒ、フレイヤの三女神をモチーフにしたアルターエゴクラスのサーヴァント(メイン画像)→シトナイ(Fate)
エピソード
大正13年(1924年)に刊行された、新聞記者の青木純二の著作『アイヌの伝説と其情話』に収録された「大蛇を殺した娘」という一篇によると、シトナイの物語は以下のようなものである。
小樽の手宮の山の北西にある裂け目に、大蛇が棲んでいた。その大きさは七八丈、胴周りは十囲(かこえ)という怪物であった。
この蛇は地元の村人を喰らい、たいそう恐れられた。村人は牛や羊をお供えて祭を行ったりしてこの蛇を鎮めようとしたが効果はなかった。
あるとき大蛇は人の夢に現れ、十二、三才の少女を喰らいたいと言い、村人達はもてあましてしまった。
蛇による害は止まず、人々はやむなく身分の低い子や罪人の子供をひきとって養育し、毎年八月になると子供たちを大蛇に食べさせた。
そうして九人の娘達が犠牲になった。村人は十人目となる娘を探そうとする。
その頃イワナイのアイヌの首長には六人の娘がいた。その一人が自分が生贄になると名乗り出た。自分の家には男はおらず、女の子供が六人いる、自分がいてもいなくても変わらない、女子では親の役に立てない等といって、反対する父母を説き伏せようとするが、ふたりはそれを許さなかった。
家を抜け出す、とも言い出して、止められなくなった彼女はとうとう生贄役となった。
彼女はマキリ(アイヌに伝わる小刀、鉈)と蛇を食べる犬を譲り受け、八月が訪れた。
彼女は大蛇を祀る廟に入り、マキリを懐に隠しつつ、猛犬を座らせて、まず鹿の肉を穴の口のところに置いた。
それに釣られ大蛇が穴の奥から這い出てきた。様子をみはからっていた彼女は犬を蛇に向けて突撃させる。
猛犬の噛みつきで急所に傷をおった大蛇はやがて死に到った。娘は蛇のねぐらの奥を探り、前の犠牲者たちの九つの頭蓋骨を見つけ出した。
そして、女性の身であっても、気の毒にも大蛇に喰われるとは、弱いにも程がある、と言い放ち、そのまま帰って行った。
この文章においては蛇殺しの少女の名前は記されていない。
このエピソードを読んだ人の脳裏には、このような姿が浮かぶだろう。
しかし……
中国古典『捜神記』の翻訳書『伝説之支那』からの改変
中国古典『捜神記』には、地名や人名、文物を中国のそれに入れ替えただけの、まんま同じエピソードが収録されている。
それだけでなく「大蛇を殺した娘」の文章は、大正11年(1922年)に刊行された翻訳書『伝説之支那』収録の「妖蛇」と一致する。
主人公が最後に言う苛烈な発言「いかに女の身なればとて、気の毒にも大蛇に喰われるとは、弱いにも程があります」これも全く同じ。
『アイヌの伝説と其情話』も『伝説之支那』もインターネット上で公開されており、該当箇所を交互に読み比べていくだけで、単語を入れ替えただけのコピペであることが確認できる。
参考リンク:『アイヌの伝説と其情話』「大蛇を殺した娘」、『伝説之支那』「妖蛇」、両者の比較図
「大蛇を殺した娘」と同じエピソードはアイヌ神話、アイヌ伝承側には出典が確認されていない。
既存の(そして、たった二年前の)翻訳書と文章レベルで一致する以上、大昔に海を越えて伝来した異国のエピソードということもできない。
そして、青木純二という人物は、阿寒湖の『恋マリモ伝説(悲しき蘆笛)』などを捏造した人物としても知られている。
北星学園大学文学部の阿部敏夫教授は青木の『アイヌの伝説』の内容についてこう語っている。
「この本は八十七話と先ほど言いました。その内容は、出典が明らかなのは三話だけです。」(大正期におけるアイヌ民話集・北海道の義経伝説とアイヌファイル2ページ目参照)
「フェイクロア」に該当する伝承であるが、「異民族の伝承の存在」が捏造され、捏造と認識されずに受け入れられたという点で、ニューエイジャー、ヒッピーたちがアメリカ・インディアンやファースト・ネーションに伝わる予言に登場すると信じた「虹の戦士の伝説」(Legend of the Rainbow Warriors)に近い構造を持つ。
個人名の設定
昭和7年(1932年)にまとめられ、日本放送協会(NHK)から発行された『北海道郷土史研究』に収録された「小樽の昔噺」においてこの少女に「シトナイ」と個人名が設定されたのが確認されている。
ここで父親にも「ウヘレチ」という名前がついた。
大蛇に捧げられた供物などごく一部のディティールに違いはあるが、上記のエピソードと内容は一致する。
アイヌの歌人、違星北斗を研究するライターである山科清春氏はシトナイ伝承についての検証内容を記事にまとめている。山科氏によると、この本はラジオ番組での台本をまとめたものらしい。
山科氏によると「シトナイ」という人名はアイヌ側に実在する。幕末から明治にかけて存在した小樽クッタルシコタンの乙名(指導者)の名前であるが、この人は男性である。
「実際の伝承」と認識される
そして、昭和15年(1940年)に刊行された北海道庁編『北海道の口碑伝説』に「大蛇を殺した娘」がそのまま収録された。
言葉を少し書き換えているだけで、これも文章レベルで一致する。
参考リンク:『北海道の口碑伝説』「大蛇を殺した娘」、『アイヌの伝説と其情話』との比較図
まとめると、1922年に刊行された書物からコピペで話をつくった1924年刊行の本の中身を、なんと行政機関が『口碑伝説』の体裁でそのまま載せたということである。
経緯がなんであれ、北海道庁が編集した『北海道の口碑伝説』というタイトルの書物に収録されたことで一種の権威付けが成立してしまった。
これに伴い、別バリエーションで付け加えられた「シトナイ」という名前も追認される形となった。
曖昧さ回避にあるように、神話伝承の存在が英霊、サーヴァントとして登場するFateシリーズの一作『Fate/Grand Order』にはシトナイが登場するが、このサーヴァントのマテリアル(解説)欄では出典に「アイヌ神話」と記されている。
1984年に北海道出版企画センターから刊行された『新北海道伝説考』(脇哲・著)のようにシトナイ伝説を批判する書物は存在していた。
2018年になされた「ヤオ」氏による検証(シトナイの原典について)とこれを土台とした山科清春氏による解説記事(《時系列でたどるシトナイ伝説》)がネット上で拡散された事で、シトナイ懐疑論が広く知られることになった。
上のリンクを見るとわかる通り、FGOでのシトナイ実装が検証と考察が進められる契機となっている。
白龍権現との結びつき
「白龍権現」という名称の神が日本各地で祀られているが、小樽にも「白龍権現」を祀る所がある。「権現」とは「大乗仏教の尊格の化身」という意味で、前述の通り和人が持ち込んだ信仰である。
1989年に中西出版から出た『北海道口承文芸研究会編「北海道昔ばなし 道央編」』に掲載された物語では、シトナイが大蛇を斃したあと、「村に平和な生活が訪れましたが、あとのたたりを恐れて、この洞窟に白竜大権現をお祭りすることになったということです」とある(参考)。このヴァリアントでは『北海道郷土史研究』収録「小樽の昔噺」と同様に、蛇退治の舞台として「祝津の赤石」にある洞窟が設定されている。
赤石山の洞窟には白竜が住むという伝承や「白竜大神」「白竜権現」信仰が和人側において明治時代から存在しており、シトナイおよび大蛇退治の少女が登場しない伝承が残っている(参考)。もともと別個に存在していた伝説、ということである。
昭和22年(1947年)、赤石山の洞窟の近くに赤岩山白龍神社が建立されている。このほか小樽における白竜権現関連施設としてはオタモイ(小樽市の北部にある地域)にある「オタモイ白龍権現」がある。