南部の唄
なんぶのうた
概要
1946年(日本では1951年)公開のディズニー映画。
ジャーナリスト、ジョーエル・チャンドラー・ハリスが再編した「リーマスじいやの話」が原作になっている。少年時代に物語を愛読していたウォルト・ディズニーが、かねてより映像化を熱望していたことから製作が始まった。
ストーリーの軸である実写パートと、劇中劇であるブレア・ラビット(うさぎどん)たちの物語のアニメパートからなる。
本作の挿入歌として作曲された『ジッパ・ディー・ドゥー・ダー(Zip-a-Dee-Doo-Dah)』は1947年度アカデミー歌曲賞を受賞、多くのアーティストによってカバーされている名曲であり、映画本編を視聴していなくてもメロディに聞き覚えがある人は多いと思われる(ただし原曲自体が19世紀初頭のアメリカ民謡に影響を受けている)。
一般的には恐らく、ディズニーランドのアトラクションスプラッシュマウンテンの題材として最もよく知られた作品である。
人気アトラクションの題材でありながら、作品そのものはNAACPの抗議を受けたディズニーの自主規制によって視聴が困難な状態になっている。
ストーリー
アトランタから南部の農場へ、家族とともにやってきた白人系の少年ジョニーは、父親がアトランタに戻ってしまったために、さびしい思いをすることに。
そんな彼を元気付けたのは、黒人農夫の、リーマスおじさん(メイン画像)のおとぎ話だった。
しかし、ジョニーの母親は彼がおじさんに近づくことをよくは思っていなかった・・・。
おとぎ話のキャラクター
(かっこ内はスプラッシュマウンテン及び吹き替え版での呼び名)
ブレア・ラビット(うさぎどん)
頭の回転が早く、明るく陽気なウサギ。桃色の上着に、青いズボンを履いている。トラブル続きの毎日から逃れるため、いばらの茂みの家を出ようとするが、ブレア・フォックスらにつけ狙われ、結局我が家が一番だとして家に戻る。その後も何度か捕まってしまうが、その度に自慢の頭で危機を乗り越える。
声優は歌手でもあるジョニー・リーが担当しているが、笑い声の一部はリーマスおじさん役のジェームズ・バスケットが演じている。
ブレア・フォックス(きつねどん)
ブレア・ラビットを食べようとしている、ずるがしこい狐。緑を基調としたシャツとズボンにチョッキ、そして黄色い帽子を身につけている。ブレア・ラビットからは、ずるぎつねと呼ばれている。自身を天才だと信じて疑わないキザな性格だが、毎回あと一歩のところでブレア・ラビットに一杯食わされ、失敗するというのがオチ。
リーマスおじさんを演じたジェームズ・バスケットが声を当てている。ナイン・オールドメンのマーク・デイビスらによると、バスケットの喋りが余りに早口すぎたため、プレスコの際アニメーションと合わせるのに苦労したという。
ブレア・ベア(くまどん)
ブレア・フォックスの相棒。胸元の開いた青い上着に茶色い帽子を着用。ブレア・フォックスからは、どんくまと呼ばれている。普段はのんびり屋でだまされやすいが、怒ると凶暴になる。ブレア・ラビットに毎回逃げられるのも、大抵は彼のドジが原因である。常に棍棒を携帯しており、危なっかしいことこの上ない。
声優を担当したニック・スチュワートは映画公開から43年後にスプラッシュマウンテンで再びブレア・べアを演じており、映画に引き続き出演した唯一のキャストとなった。
「ブレア」というのは、黒人同士が仲間内で呼び合う「ブラザー」の訛った呼び名であり、おとぎ話の中心となる3人の動物達の声優も全員黒人で統一されている。
論争
本作は南北戦争時代を思わせる雰囲気でありながら、白人と黒人が分け隔てなく接する世界が描かれているため「奴隷制度を美化している」として、NAACPから猛抗議を受けた。言うまでもなく戦時中の黒人奴隷は白人と対等な関係にはおらず、それどころか人間より下等な物として扱われ、残酷な仕打ちを受けたことで世界的に認知されている。
ただし、実際には南北戦争後の時代設定で制作されており、抗議に対し、当時のディズニー社は「ハリスの原作と同じく舞台は南北戦争後のアメリカ南部であり、登場する黒人は奴隷ではなく小作人である」と主張した。しかし、町山智浩は2020年6月26日のPeriscope配信にて、家や服装がどう見ても終戦後の世界とは思えないと指摘し、言葉遣いは対等でありながら、戦時中のような絵面が特徴の本作を「非常に変な、あり得ない世界」と称している。
その後、へイズ・オフィスからディズニー社に対し、「舞台が1870年代以降だと明確にするための日付けを描写する」ように要求をしたものの、それと思しき描写はなく、結果として「南北戦争中の悲惨な奴隷制度をなかったことにしている悪質なプロパガンダ」という誤解が広まってしまった。
尤も、作中のリーマスおじさんは白人の邸宅に上がってパイをご馳走になったり、白人達に別れも告げずに農園を去ろうとするなど、戦時中の黒人奴隷には決して許されなかった行動を取っており、舞台が戦後であることはそれとなく示唆されている。
町山は本作が批判にさらされた経緯について、こう例えている。
「それで『南部の唄』っていうのは、そういうところが問題なんですよね。だからたとえば日本だと……日本ではそういうことは問題にならないんだけど、たとえば江戸時代の話で、お侍さんと町人が完全に平等に話をしてるっていう世界があったとしたら、それはファンタジーじゃないですか。実際、そんなのはないじゃないですか。(中略) だから『南部の唄』を作った人たちもそんな気分で「まあ昔の南部の話だけども、みんな平等っていうことでいいんじゃね?」みたいな感じでやったら「違うだろ、お前!」って言われたという感じなんですよね」
ディズニーの歴史研究家であり、本作について解説した「Who's Afraid of the Song of the South?」の著者ジム・コーキスは「本作がアメリカの過酷な歴史を綴ったドキュメンタリードラマではなく、従来のディズニー映画のように純粋なファンタジーエンターテインメントであることを念頭に置いて制作されたことを、熟慮するべきだ」とブログに記している。
製作
制作
ディズニー側も異人種への配慮に無頓着だったわけでは決してなく、本格的な制作開始前から、物議を醸すのではないかと社内では危ぶまれていた。ウォルト自身、リーマスおじさんの映画化には数々の問題が付き纏うことに気づいていた他、当時のディズニーの広報担当からも「黒人問題は危険だ。黒人を憎む者と黒人を好む者の間には、常に衝突する危険が潜んでいる」と懸念されている。
ウォルト達は映画が白人至上主義的にならないよう、左派でユダヤ人の脚本家を呼んだり、隷属関係を思わせる言葉遣いを修正したりするなど、慎重に製作に取り組んだ。
上述の脚本家が、映画が必然的にアンクル・トム(白人に卑屈な黒人を意味する蔑称)になってしまうのではないかと懸念を漏らしたところ、ウォルトは彼に対してこう語った。
「だからきみに手を貸してくれるよう頼んだのだ。きみもアンクル・トムになるのに反対だろう。きみは急進派だから」
「創造の狂気 ウォルト・ディズニー」より
公開
しかし、そうした努力も空しく、映画は黒人への侮蔑として曲解されてしまった。当時のNAACP事務局長ウォルター・ホワイトによる、誤りを含んだ批評は全米に伝わり、公開するや否や厳しい批判に晒された。
尤も、ウォルトも「黒人のキャラクターが十分に尊重されていない」という黒人俳優の意見を無視したり(この俳優はリーマスおじさん役を演じたいとウォルトに申し出たこともあったが却下されており、後に企画からも離脱している)、封切り前に黒人のメディアが共産党の息にかかっていないかをスタッフに調査させたりしており、現在でもこれらの行為について批判を受けている(ウォルトはストライキ騒動後の1940年代以降、極度の反共主義者として知られており、本作公開の翌年に赤狩りに参加している)。
ただし、非難の中心人物だったホワイトは、実際には本作を観ておらず、使いに出したスタッフからの伝聞で勘違いをしたに過ぎない。なお、映画が製作に入る前、ホワイトはウォルトから脚本に対する意見を訊かれたが、時間がないことを理由に検討を断ったという。
ブレア・べア役のニック・スチュワートの娘のヴァラリー・スチュワートは、亡くなる2ヶ月程前のインタビュー動画にて、ホワイトらNAACPが本作に出演した女優のハティ・マクダニエルを嫌っていたため(黒人俳優初のアカデミー賞受賞を果たした功労者だが、黒人の間では「白人に媚びへつらう役者」のレッテルを貼り、理不尽な誹謗を行う者も一部存在していた)、映画を目の敵にしたと批判している。
このように問題点もそれなりに孕んではいるものの、多くの誤解による深刻な風評被害を受けてしまったのも事実である。しかし、ディズニー社は未だに規制を解く姿勢を見せておらず、現在でもこの作品が日の目を見る機会はほとんどない。
スプラッシュマウンテンではそういった論争の的になることを懸念し、おとぎ話の場面のみを抜粋した、人種とは無縁の内容にアレンジされたが、それでもなお「時代にそぐわない」として、アメリカのパークでは2020年に閉鎖を余儀なくされた。
反響
批判的意見
一部こじつけはあったものの、黒人のステレオタイプな描写などから公開当時「偏見を伝えるな」「マイノリティへの侮辱だ」といった抗議の声が多く上がった。
映画評論家のロジャー・エバートは、ディズニー映画の子どもに対する影響力の強さを考慮すると、引き続き公開を控えた方が適切だと意見した。
肯定的意見
全ての黒人が本作に否定的だったわけではなく、当時の黒人新聞の一部では「異人種間関係の促進において、計り知れない貢献をもたらすだろう」と評されている。
皮肉にも、リーマスおじさん役のジェームズ・バスケットは主演にもかかわらず、プレミア公開に参加できなかった。しばしばウォルト・ディズニーが参加させなかったと誤って喧伝されがちだが、これは当時のジョージア州での黒人差別を促進する法律が根深く残っていたためであり、事実「風と共に去りぬ」でアカデミー賞を獲得したハティ・マクダニエルも1939年に同様の扱いを受けている。ウォルトは寧ろバスケットの才能を高く買っており、バスケットが1948年に亡くなるまで友人であり続けた。
バスケットは本作への抗議に対して1947年2月のインタビューにて「抗議団体は、この映画がもたらす可能性よりも意見の食い違いを前面に出そうとしている。私にとってはその方がよっぽど黒人への中傷だと思う」と苦言を呈している。
ハティ・マクダニエルはウォルトから事前に脚本を見せられた際、出来映えを高く評価したという。また、上記のインタビューでバスケットと共に本作を擁護しており、「ほんのひとつでも差別的な部分があったら、私はこの映画には出演しなかったわ」と語った。
1989年のスプラッシュマウンテンオープン時、映画とアトラクションの両方に出演した唯一の声優ニック・スチュワートも作品について好意的に見ている。この時のインタビューにおいて、ジム・コーキスの「『南部の唄』への出演は黒人にとって屈辱的な経験でしたか?」という質問に対し、スチュワートは「とんでもない!ディズニーは私達を王様のように扱ってくれたよ!」と笑って答えたという。ちなみに、スチュワートはいずれのギャラも黒人俳優の援助の為に寄付に回している。
また、ウォルトと交流のあった黒人アニメーターのフロイド・ノーマンや、女優のウーピー・ゴールドバーグも再公開を望む声明を出している。参照
純粋な映画の評価としては、1947年度のアカデミー賞において、主演のジェームズ・バスケットが特別賞を、前述の通り主題歌「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」が歌曲賞を受賞している。
日本での反響は概ね良好だった。
1953年に原作「リーマスじいやの話」の翻訳を担当し「ウサギどんキツネどん」と題して出版した八波直則は、そのあとがきにおいて「すばらしい映画」と高く評価した。
手塚治虫や淀川長治も本作について言及したことがある。淀川は1951年のパンフレットに文を寄稿しており「私は『南部の唄』という題名に何よりも魅力を感じたものである。私が、南部の香りが特に好きなためである。しかも、それをディズニイが描くと云うことが更に楽しかった」と好意的に述べている。
その後
映画は事実上封印された状態が続いているが、存在が完全に抹消されたわけではなく、ディズニーのイベント等で度々言及されてきた。
映画公開前の1945年10月14日に、「Uncle Reemus and His Tales of Br'er Rabbit」と題した漫画がディズニーコミックより刊行されており、1946年の映画化を挟んで1972年12月31日まで発表された。
テレビ番組「ディズニーランド」において、1956年1月18日に放送されたジョーエル・チャンドラー・ハリスの生涯を追ったエピソード内で「南部の唄」が取り上げられ、ウォルト・ディズニー自身の解説と共に紹介された。
往年のディズニーソングをまとめたビデオシリーズ「シング・アロング・ソング」でも本作のアニメ部分の映像が流用されている。
ディズニー公式ファンサイト上でも、映画に関する記述が現在でも残されている。参照
劇場公開も初公開から何度か行われており、40周年を記念した1986年の公開が最後となった。なお、この当時は初公開時のような抗議や批判の声はなく、興行的にも成功したという。
日本では同年に土井美加や江原正士らが中心キャストとなった吹き替え版VHSがバンダイより発売された。ただし、ウォルト達の意向が伝わらなかったのか、黒人が常に白人に対して敬語で接している他、「坊っちゃま」「大奥様」などの敬称で呼んでいるなど、誤解を生みかねない内容になってしまっている。
1992年、東京ディズニーランドにクリッターカントリーがオープンした際のパンフレットにも映画が取り上げられたが(ブエナビスタ版の新録VHSも同年に販売)、あろうことか「南北戦争の始まる前のお話」と誤って紹介されており、公式側が誤解を広めてしまう形となってしまった。
キャラクターとしてのブレア・ラビット、ブレア・フォックス、ブレア・べア(3人の中でも特に多く登場している)は、映画そのものと比較すると頻繁に取り上げられており、スプラッシュマウンテンを始め、「ミッキーのバースデイパーティ」(1954年)、「ロジャー・ラビット」(1988年)、「ミッキーマウス・ワークス」(1999年)、「ハウス・オブ・マウス」(2001年)、「ライオンキング3ハクナマタタ」(2004年)、「Kinect:ディズニーランド・アドベンチャーズ」(2011年)など、映画の自主規制後もあらゆる作品に登場している。