配役
概要
安政7年(1860年)1月生まれ。血液型A型。
「津南」は絵師としてのペンネームで、本名は「克浩(かつひろ)」。
元赤報隊準隊士で、相楽左之助とは当時の同僚にして友人。赤報隊にいた当時は手先が器用なため、隊の中では砲兵の役を担っていた(絵師になった後も手先の器用さは役に立ったらしい)。恩人である隊長・相楽総三を処刑された恨みを忘れておらず、明治政府への復讐の機会を窺っていた。得意とする爆弾製造技術で炸裂弾を開発し、爆破テロを行おうとするが、緋村剣心に阻止される。
左之助に諭されたこともあって絵師を辞め、新聞屋として絵筆と文字の力で政府と戦う道を選んだ。
京都編で再登場。志々雄一派の事も知っており、京都へ向かおうとする左之助の旅費を工面し、着火作業が不要の新型の炸裂弾を護身用として託している。その炸裂弾の破壊力たるやオーパーツの域に達しており、たった三個で甲鉄艦『煉獄』の外壁に穴を開け、沈没させてしまうという、とんでもない代物であった。この新型炸裂弾は公式でそう呼ばれたわけではないが、読者やファンからは津南が作ったことから『津南ボム』という通称で呼ばれることもある。
おかげで『煉獄』を失った志々雄の計画は大きく狂う事になったので、ある意味津南は日本を救った影の立役者と言えるかもしれない。
なお、アニメ版では「天草編」でもまだ使い切っていなかったこの炸裂弾が左之助からロレンゾ庄三に渡されて傀王を倒すのに使われた。
情に厚い一面を持つものの、根暗な性格であるため、左之助以外に友達がおらず、左之助と10年ぶりに再会するまでは笑顔を見せたこともなかったと語っていた。
また、復讐の為だけに生きてきた故に明治政府の現状や自身の身の程を把握しきれていなかった節があり、昔のよしみで津南の計画に協力した左之助も仮に爆破テロが成功しても明治政府を倒すことができなかった事を悟っていた。
アニメでは左之助にカステラをあげるという謎のエピソードがある。
アニメ版では終盤の「風水編」で再登場している。
情報を集める等、なかなか活躍していた。
余談
後年発表された外伝『炎を統べる』単行本収録のノベライズ作品『その翳、離れがたく繋ぎとめるもの』にて、上記の炸裂弾の真相が語られている。津南はとある相手から錦絵を描くよう依頼されるが、その絵のモデルこそが『煉獄』であった。こんな物騒な兵器を保持するのは明治政府に違いないと思い込んだ彼は、明治政府への復讐の一環としてこの巨大戦艦を破壊するために、海外の文献を参考に新型の炸裂弾を作り上げていたのである。海外の文献スゲェ……
その後、津南はテロによる復讐を断念し、炸裂弾はそのままお蔵入りとなり、時を経て左之助の手に渡り、最終的には本来の目的である『煉獄』撃沈のために使われたのであった。
なお、そんな破壊力満点の爆薬を長屋の押し入れに仕舞い込んで長年放置し、友人の護身用としてぽんと渡したように見えるが、津南の炸裂弾は剣心の手で一度全て破棄されているので、その後改めて製作したものである(左之助も「またこんなの作ってたのか!」「新型になってるじゃねーか!」と驚いてる。ちなみに「護身用」はその左之助のツッコミへの返答)。
なんでテロを断念した津南が対煉獄用の炸裂弾を新たに製造した上に「護身用」と偽ってまで左之助に手渡したかは、津南は志々雄一派の情報を掴んでいた事を考えれば、志々雄の手に渡った煉獄を破壊するためだったと推測される。
名前は新潟県豊浦町(現新発田市)の月岡温泉郷と津南町に由来。
また、初登場時、伊庭八郎の錦絵を描いた浮世絵師として登場するが、これは史実で伊庭八郎の錦絵を描いていた浮世絵師の月岡芳年をモデルにしていると思われる。
登場のきっかけは、ジャンプ漫画にありがちな、担当の書いた嘘次回予告にあった「謎のポンチ絵師登場?」の文言を見て、面白そうだとインスパイアしたものだという。