生涯
1507年に大内義興の嫡子として誕生。
父とともに出雲の大名であった尼子氏と長年にわたり抗争を繰り返し、毛利元就も服属させる。
1528年に、父の死後を大内氏を継いだ。
1532年、敵対した少弐資元、大友義鑑を攻めるため、筑前に出陣。
この戦いの一時和平を成立させた一方、朝廷に運動を持ち掛け、大宰大弐に任官し、西国一の大名となった。
1534年、筑後に大生寺城を攻め星野親忠を討つ。さらに肥前にも進行し九州支配に成功。
1540年からは尼子氏攻撃を強めて、属城を攻略した。
1542年には、尼子経久の死を契機に、本城である富田月山城を直接攻撃するが失敗。
その後は政治を部下にゆだね、自らは学芸を愛した。
しかし文弱で遊芸におぼれ、そのために部下の統制が乱れ、重臣であった陶晴賢の所領を取り上げようとしたため、1551年に晴賢は謀反を起こし、義隆は自害に追い込まれた。
これにより、大内氏は事実上滅亡した。
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