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小笠原忠真の編集履歴

2024-01-19 14:50:56 バージョン

小笠原忠真

おがさわらただざね

小笠原忠真は、日本の江戸時代における大名である。

概要

日本江戸時代初期における大名である。小笠原秀政の次男で母親は登久姫。祖父母は松平信康徳姫。父方の曾祖父母は徳川家康築山殿、さらに母方の曾祖父は織田信長である。

当初は母方の大叔父徳川秀忠から偏諱を授かって「忠政」と名乗っていたが、晩年に忠真と改める。秀忠から授かった忠の一字はその後の秀政流小笠原家の嫡流に引き継がれた。


下総国古河城に生まれ、大坂夏の陣で父秀政と兄忠脩が戦死したため家督を相続することとなり、信濃国松本藩の第2代藩主をはじめ、播磨国明石藩、豊前国小倉藩の藩主を歴任した。


茶人としても知られ、豊前国の茶湯隆盛の基盤を築いて上野焼の育成にも尽力し、茶道の流派の一つである「小笠原家茶道古流」を興した文化人でもある。


島原の乱が起こった際には従軍して長崎守備の任につき、彼の配下として剣聖・宮本武蔵と彼の養子である宮本伊織が出陣しており、忠真は宮本親子が最も長く仕えた大名とされている。


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