概要
南北朝時代に活躍した北朝方の武将。『逃げ上手の若君』にも登場する。
暦応元年(1338年)、奥州に拠点を築いていた北畠顕家が、北朝により征夷大将軍に任じられた足利尊氏を打倒するため上洛を始める。
大軍を率いる顕家は鎌倉から出陣した尊氏の弟・直義を破ると、鎌倉へと進軍したため、直義、尊氏の嫡男・義詮らは逃亡、鎌倉は顕家軍に占拠された。
顕家軍には得宗・北条高時の次男・時行をはじめとする多くの武士団が合流し、軍勢はさらに肥大化し東海道を攻め上がる。
一方、足利軍は美濃に集結するが一部を除いて戦意は低く、名将・小笠原貞宗ですら「何とか損害を少なくして早く撤退してしまおう」と考えるありさまとなった。
そのなかで例外的に戦意が高かったのが土岐頼遠である。
頼遠は「家の再興」のため、肉体の改造を受け入れ上杉憲顕の薬によって作られた人並外れた膂力をもって顕家軍の前に立ちはだかるべく諸将でくじを引き、くじ引きのひもをもった武士の指を引き裂いて1番を引き見事先陣の役目を引き当てた。
その膂力を目の当たりにした貞宗は恐れをなし、近づきたいと思って引き裂かれた武士の指から5番を選び、頼遠から遠く離れた位置に陣を敷いた。
その後の戦いで逃若党の一人・狐次郎と戦い、一敗地にまみれるが、つづく青野原の戦いで七百余の兵を率いて顕家軍の大軍を迎え撃ち、獅子奮迅の働きで顕家軍をほぼ壊滅させ、顕家を敗死寸前の窮地へとたたきこんだ。