概要
近畿大学卒。以下の経緯からかなりの資産を有しており、現在は殆ど仕事をしていないという(参照)。
「清晃」は「近所のお寺のお坊さんがつけてくれた名前」で「名づけの由来を聞いて萎えた」という。
この本名は、本人による公開情報である。なお、はてな時代のブログで診断はしてもらっていないが自分は自閉スペクトラム症だろうと分析している。
「何の因果かレアな個体として」出生した彼は、小学生の頃IQテストで理論最高値を叩き出した。それによって両親に受験を押し付けられ、東大寺学園中学に入学するも高校で中退。
以降は『ウルティマオンライン』や『FF11』にめり込む程にプレイするネトゲ廃人となり、攻略本の作成に勤しんでいた。取り分けFF11に関しては最初に初期ラスボス「闇の王」を倒した事もあってか、スクウェア・エニックスやファミ通から取材を受けていた。
ゲームクリエイターを志した彼はセガやgloops、グラニ、Cygamesといったゲーム会社を転々としていた。UOの攻略本に関わっていたほどの廃人だったので吉田直樹のUO語りはエアプか適当に遊んでいただけと断じている。
gloopsの面接官を担当した谷直史と共に株式会社グラニを創業したが、『神獄のヴァルハラゲート』をリリースをして取締役に就任した時に、経営陣から理不尽な解雇を下されてしまう(ちなみに貯金も会社に貸し付けたため、実質無一文であった)。これに泣き寝入りはしないと決めた彼は7年かけてグラニを相手に5つの裁判訴訟を起こし、紆余屈折あって最終的に勝利を収めて6億円の賠償金を受け取った(尚、グラニは件の賠償金に加えて新作のヒットに恵まれなかった事もあってか、実質倒産に至った)。
このあたりの経緯は彼のnote「シン・ネトゲ戦記」(後に暇空茜名義で『ネトゲ戦記』としてKADOKAWAから発売)に詳しく書かれている。
以降の活動は「暇空茜」の記事を参照のこと。