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小田急9000形の編集履歴

2024-08-11 15:02:39 バージョン

小田急9000形

おだきゅうきゅうせんがた

小田急電鉄が運用していた通勤型電車。

概要

地下鉄千代田線との相互直通運転開始時に導入された車両で、4両編成と6両編成がそれぞれ9編成ずつ用意されて90両が運用された。


5000形の次に登場した通勤車で、順番通りに行けば6000形となるはずだったがこれに関しては

・営団地下鉄に6000系が導入されており番号の重複を避ける必要がある事、

・5000形よりずば抜けて高性能な車両であることを示す事

・営団9号線への直通車両である事

これらの事情から形式番号が一気に飛んで9000形となった。

1973年鉄道友の会ローレル賞受賞。



構造

20m級鋼製車体で、4ドアロングシートである。車体幅は千代田線の車両限界に合わせて小田急標準の2,900mmより30mm狭い2,870mmとなっている。


営団6000系と並べても引けを取らないデザインという要望から、東急車輛製造が提案した左右の前面窓を屋根ギリギリまで拡大した構造(通称「ガイコツ顔」)が採用された。このデザインは大阪市交通局60系に次ぐものだが、この形式から全国に広まったせいか、本形式が元祖呼ばわりされることがほとんどである。

このデザインは1969年に登場したシカゴ・Lの2200型電車がモチーフとされている。


乗り入れに際して発熱量を可能な限り少なくして欲しいという営団地下鉄の見解から、制御装置に界磁チョッパ制御を採用し、ブレーキにも回生ブレーキを採用した。

ただし小田急線内での運行も考慮して発電ブレーキも合わせて搭載している。


沿革

1972年に第1次車として4両編成6本が順次入線。第2次車も同年に4編成が入線した。

1973年から6両編成が入線を開始し、74年までに8編成が入線した。


直通運転のダイヤが決定し、小田急の担当は5運用となったため5運用を回すのに必要な10両編成を確保するべく1977年に付随車を2両新造。4両編成の9010編成に挿入して6両化した。


1978年3月より千代田線への直通運転を開始。直通列車以外に自社線運用にも用いられ、休日ダイヤに限って箱根登山鉄道へも乗り入れた。


更に当時の運輸省がマヤ34を使用した軌道検測を推奨した事から、1985年に国鉄からマヤ34を借りて9000形の4両編成2本にマヤをサンドイッチして検測運転を行った。


1988年登場の1000形が地下鉄直通運用に入るようになると1990年に地下鉄直通から撤退。地下鉄線用の機器を撤去して地上線専用車となった。

4両編成に関しては全電動車の発揮する高い加速力から2本連結した8両編成で新宿発着の各駅停車に使われることが多く、2000年から4両6本が8両半固定編成化されている。


老朽化や地下鉄直通を見据えた重装備が保守部門から敬遠されていたこともあり、3000形の登場後、2600形4000形の全廃後の2005年から廃車開始。

2005年に74両が一気に廃車となり、2006年3月を以て定期運用を終了した。

なお、これは余談であるが、9000形自体特殊な車輌特性だったこともあり、8両編成の運用では非常に安定した走行をしていたが、6両編成や一部の4両編成は地上専門化後、10両編成運用では基本異形式併結が基本であり、加減速時の前後衝動が非常に激しく、とりわけ3000形と併合した際は大暴れだったという。


廃車後は解体の運命を辿ったが、トップナンバーのデハ9001に関しては解体を免れ、海老名検車区でクハ2670、デハ2201・2202と共に保管されている。



関連項目

1000形 2000形 3000形 4000形 5000形 8000形

営団6000系

東急8500系:計画時、本形式と同じ前面形状が提案された

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