概要
国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場。
あるいは共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想。
(反対語:全体主義)
特徴と類型
個人が至高の価値を有するという道徳原理(人間の尊厳)と自己決定(自律)を重視し、個人は理性的存在または個性的存在であると考える。
個人主義という語は多義的であって、その文脈に応じて、社会学的個人主義、方法論的個人主義、政治的個人主義、経済的個人主義、宗教的個人主義、倫理的個人主義、認識論的個人主義といった諸類型に区分することができる。
現今の世界では対等かつ多様性を認め、資本主義を支える基本的な価値観として隆盛を極めているが、極めて対極にある全体主義もやはり根強く、対立も絶えない。また、スクールカーストにおいて全然主義を支持する者の待遇が悪くない一方、個人主義者は下位として孤立した末に不都合な事態に遭いやすい傾向にある。(理由は後述)
利己主義との違いと関係
自分側の利益・欲のみを追求しては相手(特に自分より弱い相手)にあれこれ強いる(特に損失)ことはエゴイズム、利己主義あるいは快楽主義と呼ぶべきであり、個人の尊厳と意思決定を重視する「個人主義」とは別のものであるのだが、利己主義者からは同類として取り入られては唯一の違いである『多様性を認め、互いの権利と自由を尊重する』考えを利己主義の増長に利用される事も少なくない。
そう、勧善懲悪が中途半端なお人好しの個人主義者は狡猾な者には都合の良い存在にて、そういう者達が多数派の場合はリーダー向きではないと言える。(傀儡にされやすいため)
手段を選ぶか選ばないかの違いだが、手段を選ぶ個人主義も他人(利己主義者は勿論、後述の全体主義者も)からは手段を選ばない『利己主義』扱いを受けやすい。その一方で利己主義者は全体主義者と二足の草鞋を履いていおり(要するに多数派)、利己主義者扱いされない者が多い。(利己主義を振りかざす相手は個人主義者等の少数派に対してのみで自分(多数派)に不都合がないから)
共産主義との関係
個人主義は一般に共産主義とは対立するものと考えられているが、共産主義が個人の自由を制限し、統制を重んじる主張の根底にはこの個人主義的功利主義思想が含まれている。
共産主義の個人観は、個人を社会構成の一原子とみて、その機械的集合を社会とみるのである。団体生活の尊重は、手段として尊重するのであって、目的は個人の幸福にある。
全体主義との関係
多様性を頑として認めない全体主義とは著しく相性が悪く、全体主義を支持する者達から『利己主義』扱い等敵性思想として弾圧の対象とされる事も少なくない。
また、全体主義を支持する多数派から傀儡のリーダーに祀り上げられ、個人主義を履き違えた利己主義の正当化(個人主義者に対して)に利用される事も。
『相手を選ばないが手段を選ぶ』(序列に囚われず対等に接する等)個人主義に対して、全体主義(後述の一部の合理主義も)は『相手を選んで手段を選ばない』(要するに個人主義者に利己主義を振りかざしては「本人のやり方を借りたまで」と主張)故に前述の通り相性が悪いと言える。
合理主義との関係
個人主義との相性は二極化で、良心的合理主義(公平性等清濁併せ呑むタイプ)なら相性は悪くないが、選民思想型合理主義(極端な勧善懲悪タイプ)だと著しく相性が悪く、個人主義の考えが何かと非合理に映り(良心的合理主義者は思想に関係なく合理的なら支持し、逆に全体主義等の多数派から合理的とされても非合理なら支持せず(少数派の排斥による間引き等))、『利己主義』扱いされた挙げ句公私において対立しやすく(良心的合理主義者は思想や出自に関係なく必要に応じて協力を惜しまない)、最悪排斥の対象にされる事も少なくない一方、傀儡のリーダーに据えられる事も(目的は決まって個人主義者に対する利己主義の正当化)。
生真面目かつ人間関係を軽視しがちなところは個人主義と共通しているが、自分と違う価値観を認めるかどうかの違いにある(個人主義者並びに良心的合理主義者は認めようと努める(但し自分の価値観を否定されない限りは)が、選民思想型合理主義者は頑として認めない)と言える。
関連タグ
功利主義:個人の幸福を目指すのが社会全体にとっても最良であると考える思想
自己中:間違った方向に拡大解釈してしまった結果