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徳大寺公純の編集履歴

2024-08-24 12:30:56 バージョン

徳大寺公純

とくだいじきんいと

徳大寺公純とは江戸時代末期から明治時代の公卿

概要

鷹司輔煕の庶長子。母は不明。祖父鷹司政通の養子となった上で、改めて徳大寺実堅の養嗣子となり家督を継ぐ。官位は従一位、右大臣


生没年

文政4年11月28日(1821年12月22日) - 明治16年(1883年)11月5日


経歴

嘉永3年(1850年)に権大納言。安政4年(1857年)に議奏。安政5年(1858年)に日米修好通商条約で条約に反対し井伊直弼の安政の大獄で処罰された。その後復帰し公武合体派として活動する。文久4年(1864年)に右大臣に就任。明治維新後は京都に残った。明治16年(1883年)に死去。


家族

鷹司輔煕は、閑院宮直仁親王の第四王子で、鷹司家の養子になった鷹司輔平の曾孫にあたる。

養父の徳大寺実堅も輔平の子である。


系図

東山天皇閑院宮直仁親王鷹司輔平鷹司政煕鷹司政通鷹司輔煕徳大寺公純


子女

徳大寺実則

西園寺公望

末弘威麿

住友友純

中院通規

徳大寺福子

徳大寺永

徳大寺中子

徳大寺照子


関連項目

朝廷 公卿 鷹司家 徳大寺家

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