史実
南北朝時代に活躍した南朝方の武将。
北条時行に仕え、時行による三度の鎌倉攻略に貢献したが、最後の攻防戦で北朝方に捕らえられ、時行とともに処刑される。
『逃げ上手の若君』に登場する長崎駿河四郎
得宗・北条高時に仕える内管領・長崎円喜・高資を輩出した長崎一族のひとり(史実でも得宗家に仕えた長崎一族のひとりであることが示唆されている)。
わずか16歳で鎌倉に攻め寄せる新田義貞の軍勢を1か月にわたって足止め、鎌倉陥落後は行方をくらまし、伊豆韮山に隠棲する覚海尼(高時・泰家兄弟の母)の庵に身を寄せる。
中先代の乱に敗れ、義父・諏訪頼重を喪った北条時行も逃若党とともに2年にわたって覚海尼の庵に匿われていたが、奥羽を治めていた北畠顕家が北朝方の首魁・足利尊氏を討つため挙兵すると、時行たちも顕家に呼応して挙兵、駿河四郎も時行に従った。