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藤原伊尹の編集履歴

2024-11-12 19:32:54 バージョン

藤原伊尹

ふじわらのこれまさ

藤原伊尹とは平安時代中期の公卿。

概要

父は藤原師輔、母は藤原盛子藤原経邦の娘)、官位は正二位、摂政太政大臣花山天皇の外祖父。


経歴

延長2年(924年)に誕生、天慶4年(941年)に従五位下、以降侍従、右兵衛佐、左少将、左中将、蔵人頭などを経て天徳4年(960年)に参議、康保4年(967年)に従三位、権中納言権大納言となる、安和2年(969年)に大納言、右大将、左大将となり翌年の天禄元年(970年)に右大臣となる、天禄2年(971年)に太政大臣となり翌年の天禄3年(972年)に死去、死後謙徳公の号が贈られた。


人物

歌人でもあり家集「一条摂政御集」がある、また後撰和歌集の編纂に加わった。


百人一首

あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな


外部リンク

藤原伊尹 - Wikipedia


関連タグ

公卿 平安時代 藤原北家

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