人間の証明
にんげんのしょうめい
母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ・・・・・(西条八十「ぼくの帽子」より)
内容
東京都内の高級ホテルで、胸部を刺された黒人男性が、エレベーターに乗った直後に息絶えてしまう。警視庁麹町警察署の刑事である棟居弘一良(むねすえ こうちろう)が捜査をはじめるが、その頃、別の場所ではホステスがスピンしてきた自動車にはねられる事故が発生していた。
一見すると全く関係のない出来事なはずであったが・・・・・・・!?
映画
1977年10月に東映系の映画館で公開されたが、地域によっては東宝系の洋画館で公開された。
実は日本の映画で初めて本格的なニューヨークロケが行われた作品であった。
配給収入は22億5000万円を記録、その年の配給収入第3位をマークした(ちなみにトップはアメリカ映画のリメイク版「キングコング」で30億9000万円)が、その一方で制作費は12億円、宣伝費に14億円もかけてしまった。その費用のかけ具合は良くも悪くも話題になり、出演者の1人であったはずの鶴田浩二は「宣伝費は制作費の1割か2割じゃないの本来?」と呆れかえった。
しかも評価に至ってはものすごく低く、滅多なことでは映画をけなさなかった小森のおばちゃまですら「物語の展開が唐突すぎるのよね」と頭を抱えてしまったほど(ただし一旦は持ち上げてはいるが)。そのあまりにもの酷評(通り越したバッシング)ぶりに作者であった森村は大激怒、映画評論家のことを「悪口書いて、金をもらっている気楽な稼業」だとか「マスコミのダニ」などとくそみそにけなしている。さらにこき下ろし振りが酷かった大黒東洋士と白井佳夫と言う、2人の映画評論家に至っては、その後の角川映画の試写会に行くことが出来なくなってしまった。そのうえ報知映画祭や毎日映画コンクールやブルーリボン賞と言った日本の映画賞から無視されたため配給元の東映のボスであった岡田茂は完全にキレてしまい、1978年2月に、日本の映画関係者による映画賞である日本アカデミー賞が制定されることになった事を受け、マスコミや映画評論家によって審査される既存の映画賞をここぞとばかりに罵倒したのだった。