概要
苗字の表記は旧字体である「攝津」が正しい表記なのだが、報道や新聞では新字の「摂津」が使われることもある。
秋田経済法科大学附属高校では1年夏からベンチ入りし、3年時の2000年にはセンバツに出場。
高校卒業後は父親と同じくJR東日本に入社し、東北硬式野球部に所属。3年目から登板機会を増やし日本選手権東北二次予選では最優秀選手賞を受賞した。2004年からチームのエースとして活躍。
2008年度プロ野球ドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから5位で指名され入団。26歳でプロ入りという遅咲きのプロ野球選手である。
ルーキーイヤーである2009年、最優秀中継ぎ投手と新人王のタイトルを獲得した。
人物
王貞治氏曰く、「彼(攝津)はメジャーで即通用するピッチングをしている」と彼のプレースタイルを賞賛していた。
基本的に無口であり、勝利のヒーローインタビューでもアナウンサーから問われたこと以外を自分から話し出すことはほとんどない。登板時は、抑えても打たれても表情を変えることはない。
千葉ロッテマリーンズの今江敏晃は「攝津さんってコントロールムチャクチャいいんですよ。テンポもいいしテークバックが極端に小さいからタイミングが取りづらい」と話し、同僚であるブライアン・ファルケンボーグ、現読売ジャイアンツのホールトンからも攝津の精密な制球力を高評価している。