デュプレクス(アズールレーン)
でゅぷれくす
シュフラン級重巡洋艦の一隻で、一言で言えばザ・苦労人。
冷静沈着で合理主義的な性格ではあるものの、なぜかいつも激務に襲われている。
「もしかして楽しんでいるのでは…?」との声については本人は頑なに否定しているが…
フランス海軍シュフラン級の4番艦。1929年11月14日起工、1930年10月9日進水。
艦名の由来はフランスの貿易商人で、後にフランス領インド総督を務めたジョゼフ・フランソワ・デュプレクス。
この名前を持つ艦としては、1862年竣工の木造コルベットのデュプレクス、1903年に竣工した装甲巡洋艦デュプレクスがいた。
基本的にフォッシュと同等の設計であるが、弾薬倉庫や機関部の装甲の厚みを増強した他、副武装の高角砲を単装8基から連装砲4基へ変更した。
1932年7月20日に竣工、地中海トゥーロンで第1戦隊・第1軽戦隊に配属される。
1939年9月、第二次世界大戦が勃発すると、再編された第X部隊の一員としてダカールに展開し、ドイツの襲撃船や商船の捜索に参加。
同12月から翌年1月にかけてアドミラル・グラーフ・シュペーの捜索や、船団護衛に参加。その後フォッシュと共にトゥーロンに戻る。
1940年6月13・14日には姉妹艦コルベールらと共に、イタリアの軍港ジェノバを中心とした本土攻撃「ヴァード作戦」へ参加。
これがデュプレクスにとって唯一の砲撃の機会となったが、作戦全体で距離や目標を誤るなどしてほとんど損害を与えることはなかった。
同22日にフランスとドイツに休戦協定が発行されて以降は、トゥーロンで待機することとなった。
1942年11月、ドイツによるトゥーロン侵攻を受け、接収を防ぐべく姉妹艦を含めた多数の艦と共に自沈。
1943年7月、イタリア軍によって浮上させられるも、1944年3月の連合軍の空襲により再度沈没。1951年に解体された。