1948年生、東京都出身。
大学卒業後タツノコプロに入社、社員脚本家としてデビュー。その縁からタイムボカンシリーズの多くのシリーズ構成を務めるが「イタダキマン」では上層部との軋轢で降板している(この経緯はイタダキマンの記事を参照)。
1975年に退社してフリーになり、1986年7月に後進の育成のため「アニメシナリオハウス」を設立し荒川稔久、あかほりさとるらが世に出た。これが後に脚本家事務所「ぶらざあのっぽ」に発展する。「ぶらざあのっぽ」の由来は小山本人が194cmの長身であることに由来し、ヤットデタマン のモブキャラ「小山カメラマン」のモデルである。
2005年4月に大阪芸術大学映像学科教授に就任(後にキャラクター造形学科)。現在はほぼ脚本家としては廃業状態で大学教員と自社ぶらざあのっぽでの後進育成に専念しており、香村純子など多数の脚本家を輩出した。
2014年にぶらざあのっぽは脚本家養成とマネジメント業務を終了して小山自身の個人事務所に縮小し、所属していたライター達は殆どがフリーになっている。
息子の小山真は2009年に脚本家デビューしかつてはぶらざあのっぽに所属していた。