重巡洋艦「古鷹型」
第一次世界大戦直後、日本軍は従来の5500トン型軽巡洋艦(球磨型、長良型、川内型)では大型化・大口径化する海外艦に敵わないとして、それらに対抗するために「平賀譲」造船官主導のもと、排水量7,100トン、20cm砲6門の偵察軽巡洋艦「加古型」として1922年に建造が決定された。
設計においては建造コストを抑えるために小型の船体にそれより上のクラスの武装を装備するという同じ平賀造船官が設計した「夕張」と同様のコンセプトを継承。船体を小型化するために装甲板を構造材の一部として兼用するなど軽量化に努めた。
だが一番艦「加古」の竣工直前に世界軍縮条約である「ワシントン条約」が締結され、続いて従来の巡洋艦を「主砲は6.1インチより大きく8インチ以下の艦:重巡洋艦」と「主砲は5インチより大きく6.1インチ以下の艦:軽巡洋艦」に分別し、それぞれに保有制限を設けられ、20cm砲を搭載する本型は世界的に見ても小型であるにも関わらず、重巡洋艦にカテゴライズされてしまったのだ。これにより日本海軍は、他国より小型の艦を重巡洋艦扱いされ、大きなハンディを背負う事になる。
もっとも、排水量ではなく備砲の大きさでカテゴリーが決められたのは、造船技術に優れた日本軍が有する排水量の割に大型の砲を搭載する古鷹型や妙高型をターゲットにした足枷という説もあり、事実として定められた各国合計排水量は、米14万3500トン、英19万2200トン、日10万0450トンと、日本が一番割りを食っている。
これらの条約による建造事情の激変や、同時に起こった加古建造中の工廠でのクレーン事故により、加古の竣工は一時見送り。その間に二番艦の古鷹が竣工したため、古鷹をネームシップとする古鷹型となった。
ちなみに加古も二番艦として古鷹の4ヶ月後に竣工している。
条約の影響で1936年から1937年にかけて両艦とも近代化改装が行われ、本型の後継型である青葉型とほぼ同一の艦容となった。
「加古」の艦長によれば、本型は居住性が悪い上に乾舷が低く、内火艇の通過に伴う波で舷窓から水が流れ込むため、常に窓を閉めていた。そこで各艦からは「水族館」という渾名をつけられていたという。
古鷹、加古共に太平洋の各地で活躍したが、1942年(昭和17年)に両艦とも戦没している。
詳細はwikipediaなどで。
艦隊これくしょんの古鷹型
史実においては、この2人の存在が、重巡洋艦と言うカテゴリーを生み出し、ひいてはロンドン軍縮条約を引き起こした原因とも言える(一応能力的に重巡と呼べる艦は以前から存在している)。
ワシントン条約時(長門達八八艦隊計画を恐れたとされる)の事も踏まえれば日本は意図していなかったとは言え(寧ろ嫌がってたが)わずかな間に2度も軍縮条約を引き起こさせたと言うことになる。
そう言った意味で、歴史に残る名艦と言ってもいい。
能力的な面では、「重巡洋艦」になることを意図していなかったこと(と言うより考え方自体がなかった)、最初期の重巡であるため太平洋戦争時には旧式化していたこともあって他の重巡にはどうしても劣ってしまう。
当初はそれこそ軽巡以下という有り様だった(特に加古は駆逐艦並の火力だった)が、二度の上方修正を経て大部分の軽巡よりも高い火力をマークし、十分実用に堪える能力となった。それでもなお一部の高性能な改二艦(神通改二・夕立改二など)には並ばれているが……。
その分若干燃費がよいのが特徴で、遠征では活躍が期待できる(余談だが、燃費の面でも下位カテゴリである軽巡の阿賀野型に並ばれていたがアップデートで是正されていた)。
しかし、史実の事や2人の性格などを気に入って2人のことを愛でる提督は割と多い様である。
姉妹艦が2人しかいない艦娘の例にもれず彼女らも非常に仲がよいのだが、それだけでなく、史実において加古は古鷹の目の前で沈んでいる(それも『即死』と形容されるほどの短時間で)などの逸話にも事欠かない。
姉妹関係
上記の通り古鷹型は2人しかいないが、小改良型である青葉型も含めるとすれば計4人となる。
また、資料によってはそのまま古鷹型として記載されているものもある。
但し、『艦隊これくしょん』内ではしっかりと分けられているため、4人一緒の場合は第六戦隊のタグの方が適当である。
因みに、本来の起工は加古の方が先であり、就役後も書類上ではしばらく加古型巡洋艦として記されていた。
しかし、加古の建造中にクレーン事故が起き就役が古鷹に遅れてしまい、しばらくして書類も古鷹型巡洋艦に直された。
姉妹関係をにおわすセリフがありながらも、明確に「どちらが姉」と言わないのはここら辺の理由があるのかもしれない。
ちなみに古鷹型の「お姉さん」、つまり前級は金剛型であるとも言える。
古鷹型より一つ前の一等巡洋艦は金剛型(計画時)だからである(竣工時は巡洋戦艦に類別)。
一方、金剛型が戦艦に改装された時には既に長門・陸奥は竣工済みだったので、戦艦としての金剛型の次級は大和型ということもできる。
やたら低い性能(過去形)についての薀蓄
何しろ、元々は軽巡洋艦としてポスト5500t型として企画されていたため20cm砲は従来型軽巡洋艦と同様に単装。身の丈に合わない大火力を無理矢理載せた代償は居住性の悪化と航続力の低下という弊害として顕れた。また大口径で有るにもかかわらず従来型単装砲塔に拘った搭載砲は人力揚弾であり砲塔内の10発の即応弾を使い切るとその特性から射撃速度が激減するという重大な欠陥を強いられることになった。無論、その欠点は準同型の青葉型設計時に連装砲塔搭載と言う形で改善され、古鷹型にもフィードバックされることになる。しかし、最後まで居住性は改善されることはなかったという。
(もっともその後妙高型などもっと極端な設計にされ、結果として古鷹型は日本重巡洋艦としてはマシな部類になってしまったのは皮肉である(注))
本来軽巡洋艦である船体に無理矢理大口径単装砲塔をゴリ押しした元凶は無論平賀譲である。手法的には夕張と同じで尚かつ同様な欠点を持っていた点まで同じだった。
(余談ではあるが史実の重巡洋艦としては最古参だが、ウォーターラインシリーズのリニューアルは全く似ていないと酷評されながら何故か他艦のリニューアルが一通り済むまで後回しにされた)
注:あまり知られていないが、巡洋艦の居住性はどこでも似たり寄ったりで唯一良かったのはイギリスだけである(実はアメリカもイギリスにそうとう馬鹿にされている)。さらに航洋性が著しくひどい(その代わり「砲や爆弾に対しては」ものすごく硬い、が、この頃のアメリカ艦のお約束で水線下防御には問題が残った)。また、初期の重巡であるペンサコラ級は主砲があまりに艦橋と密着していたため、舷側に向けて主砲を撃つと艦橋の一部が吹っ飛ぶ。そしてもちろん当のイギリスがやらかしていないはずがない。居住性と航行性を確保しつつ日米の艦に火力で対抗しようとした結果防御に問題が残り、航空攻撃による喪失重巡洋艦第1号第2号になってしまった(コーンウォールとドーセットシャー)。しかも、日米が既に重巡洋艦(この時点ではまだ確定していなかったが)の形を大体決め終わり、高雄型、ポートランド級を建造している頃、イギリスはまだ古鷹と同期のカウンティ級の増備を行っていた。
関連タグ
金剛型:実は古鷹型の前級が彼女達。登録当初は一等巡洋艦(装甲巡洋艦)だったことに起因している。
青葉型:古鷹型の基礎設計を元に、問題とされた箇所を再設計された次級。「改古鷹型」とも呼ばれ、青葉型2隻を含めて「古鷹型」として扱われることも