『戦闘機よりも高速の爆撃機を』
これはドイツでなく、戦間期の世界中で流行したコンセプトである。
日本やイギリス、ソビエトでも同様の機体が生み出されたが、いずれも『高速の爆撃機にも負けない高性能エンジンを積んだ戦闘機』の登場でさすがに時代遅れになりつつあった。
各国がいっせいに目を覚ます事になるのはもう少し先の話になるのだが、
当時はどの国も爆撃機の高性能化には血道をあげていた。
このJu88も開発が1935年から始められており、
『800㎏の爆弾を搭載し、500km/hで飛行できる爆撃機』
というのが要求仕様だった。
これを受け、ユンカース社では空力的な洗練を積み重ねたJu88を出品した。
1937年9月、Ju88試作3号機は最大速度523km/hを記録している。
これは当時の主力戦闘機Bf109の記録を50km/hも上回っており、『新型高速爆撃機 Ju88』には大きな期待が寄せられた。
こう見えても「スツーカ」
『スツーカ』とはJu87の通称と思われがちだが、意味する内容は「急降下爆撃機」であるため、Ju88にも適用される特徴である。専用の「ダイブブレーキ(急降下減速用エアブレーキ)」を備えているが、実際には緩降下爆撃程度だったという。
Ju88A
最初の型『Ju88A』は、通常の爆撃機型である。
胴体に爆弾倉、エンジン内側の主翼下には爆弾架が設けられており、Ju88A-4なら3t程度の爆弾を装備できる。
生産は先行量産型のA-0からエンジンを強化したA-1へとって代わられた。
しかし、性能は実戦用装備の追加で450km/h程度にまで低下しており、1940年の『バトル・オブ・ブリテン』では、He111やDo17に比べれば少ないとはいえ、損害は大きかった。
頼みの護衛戦闘機も航続距離が短く、イギリス上空での戦闘可能時間は15分程度と短かった。もはや高速ではなく、護衛戦闘機も当てにできないとあっては、損害も大きくなろうというものである。爆撃機部隊の損害だけという訳では無いだろうが、
続く『ゼーフント作戦』の無期限延長後は、地中海での通商破壊作戦が主になった。
ただし他の機種の例にも漏れず、1943年の『スターリングラード攻防戦』に伴う補給作戦で大損害を負い、
爆撃機としての活躍には終止符を打たれることになったのである。
Ju88B
続くJu88Bは空力改善を進め、乗員室を再設計して新型エンジンを導入した。
しかし開発は難航し、とうとう完成をみる事は無かった。
一応、Ju88Aの性能向上を目指した型である。
後にJu188にも発展するが、こちらも完成しなかった。
Ju88C
3番目のJu88は戦闘機である。
爆撃機の搭載量とパワーを生かし、一撃離脱専用の戦闘機として使われたのである。
ただし「双発複座の戦闘機」では「単発単座の戦闘機」に太刀打ちできず、
戦闘機(とくに昼間戦闘機)としての活躍には制限がかかる事になってしまった。
(これも「バトル・オブ・ブリテン」の戦訓)
Ju88C-4やC-5は戦闘機として生産されたが、偵察機として使う事もできるようで、続くD型では軽量化して最初から偵察機として開発された。
バトルオブブリテンの戦訓から『昼間は戦えない』とされてしまったJu88Cだが、本土が昼夜分かたず空襲を受けるに伴い、『対爆撃機用迎撃機』として使う事が考えられた。
これがJu88C-6で、夜間索敵用レーダーを装備している。
ガラス張りの機首は塞がれ、爆撃手席には大小さまざまな機銃を搭載した。
Ju88Cはのちの夜間戦闘機型「Ju88G」へ発展する。
本機を皮切りに、Ju88は戦闘機(迎撃機)として使われていくようになるのである。
Ju88D
Ju88Aから発展した偵察機。軽量化すること性能を向上させた。
主にA-4を基にしており、爆撃照準機とエアブレーキを撤去している。
爆弾倉には燃料タンクを増設し、さらに偵察カメラを追加した。
A-4ベースのD-1を始めとして、熱帯地型やプロペラ換装型、さらにエンジン強化型が生み出された。
生産数は最大で1500機程度と見られており、比較的多く生産されている。
Ju88G
Ju88Cの改良型。
開発中だったJu188後部胴体の設計を取り入れ、
さらに胴体下部のゴンドラを廃止して空力を改善した。
爆撃機としてはダメでも、双発の迎撃戦闘機としては中々優秀だったようで、
最高速度などはMe110をも上回る520km/h(G-1)を発揮する。G-6では540km/hまで向上している。
(レーダー装備のBf110G-4d/R3などは485km/h)
Ju88は生産体制が整っており、このG型などは後半の主力生産機となった。
さらには「ミステル」の母機にもなり、総生産数15000機のうち5000機が戦闘機型となるのである。(Ju88C,G)
Ju88H
Ju88Gを基にした長距離戦闘・爆撃・偵察型。
胴体を延長し、燃料搭載を増やしている。
これにより大西洋や地中海を行動範囲に収めるはずだったのだが、ノルマンディー上陸作戦の成功、フランス解放で意義を失う。
H-1からH-4まであるが、完成はH-1が10機のみ。
Ju88P
最初のJu88P-1はHs129B-3と同じく『75mm自動砲』を搭載するが、
(「Pak40」75mm対戦車砲)
空気抵抗や重量の増加で、最大速度が395km/hまで低下した。
さすがにコレは悪すぎと指摘され、その上
・大きいので目標になり易い
・遅いので(以下略)
・高価
などの短所が明らかになったので、テスト部隊に18機が配備されただけで終わった。
(しかもテスト終了後はすぐに引き上げれられている)
一応、武装違いが予定されていた。
Ju88P-2
胴体下にJu87Gと同じ37mm機銃を2門装備した型。
飛行性能はP-1と同程度、そのくせJu87Gよりも高価とあって、
生産計画は中止された。
(ただし弾数は90発となっており、これだけは勝っているが)
Ju88P-3
P-2の防弾強化型。
欠点は変わらず、しかもそんなことで解決する問題ではないとあって計画中止。
Ju88P-4
武装を新型の50mm機銃にした型。
実践記録の方はよくわかっていない。
この他にも88mm砲を搭載する計画(1機製作?)もあったようだが、
テストだけで終わっているようだ。
Ju88S
軽量化し、エンジンを換装した真の高速爆撃機。
高速性能の為に爆弾搭載も制限され、S-1は1000㎏程度にされていた。
以上の効果もあり、最高速度は614km/h(高度8000m)を記録した。
だが、登場が1943年半ば以降とあっては活躍の場も少なく、
そもそも1000kgの爆弾では目立った活躍は望めない。
そういう訳で生産も少なく、(S-3で246機だとか)
さらに搭乗員も3名に減らして軽量化されたJu88Tも登場したが、
生産も少なく、目立った活躍もなかった。
ミステル(宿り木)
爆撃機と戦闘機を組み合わせた特殊な攻撃法で、Ju88とBf109・Fw190を組み合わせたものが実用化された。Ju88はコクピット部分を大型爆弾(1.8t)に換装し、目標への激突コースに乗せたところで戦闘機を分離させるようになっていた。
つまりJu88を(現在で言うところの)大型ミサイルとして使うのである。
対艦攻撃用・施設攻撃用として計画されていたが、空中・海上での勢力と共に使いどころを失ってしまった。2機分の重量があるので、逃げようにも鈍重になってしまうのだ。
もちろん離陸にも細心の注意が必要とされ、(地面が荒れていたりすると簡単に横転する)
全体的に使いどころが難しくので殆ど実戦投入はされなかった。
いちおう新型機(Me262・Ju287)を使ったものも計画されていたが、そもそもジェット機の数が揃わず、しかも従来機の戦果も揮わないのでは空軍省が本気でとりかかる事も無かった。
Ju88のおわりに
始めは高速爆撃機として開発(A型)されていたが、高速性能や搭載量をかわれて戦闘爆撃機(C型)や偵察機(D型)としても使われている。ここからさらに夜間戦闘機(G型)にも発展し、生産体制が整っていることもあって空軍の一大勢力を築いた。
だが肝心の性能は既に見劣りするものとなっており、高性能化したくとも見合うエンジンが無いので思うようにはならなかった。(あるいはエンジンの数が揃わないので導入できない)
生産が続けられたのは他に間に合う機体が無かったからで、爆撃機の需要が少なくなっても生産は続けられた。
G型が生産される頃には「高出力の迎撃機として求められていた」というだけであり、爆撃機としての構造上のムダは承知の上で生産は続けられた。さらなる高性能機も開発されていたが、肝心の性能はイマイチだったので完全に肩代わりさせるには至らなかった。
(こちらも高性能エンジンの調達が問題だった)
とはいえJu88が凡作・駄作ではなかったことは世の認めるところである。主任設計者がアメリカ航空業界の影響を受けており、設計思想面ではB-17に通じる面もあると言われている(多発重爆撃機にあるまじき変態機動とか)。敵の迎撃に身をさらすことを忘れた一式陸攻などよりはるかに健全な設計だったのは疑う余地もない。Ju88は求められる爆撃機だった。
キラ星のごとき傑作機が次から次と出るなら誰も苦労はしない。
Ju88は良くも悪くもナチスドイツの主力機として最後まで活躍し、戦果も損害も記録し続けたのだった。