概要
ドルニエ社がドイツ国営航空会社「ルフトハンザ」向けに開発し、不採用になった高速郵便輸送機がドイツ空軍に爆撃機として採用された。
戦間期に各国で開発された「戦闘機よりも速い爆撃機」の一つ。細長い胴体から、仇名は「空飛ぶ鉛筆」。
スペイン内戦や第二次世界大戦に於いて運用された。バトル・オブ・ブリテンの頃には旧式化していたが、ドイツ空軍での運用はドイツ敗戦まで続いた。
1940年までに1,994機が生産された。
沿革
1926年1月、ドイツ国営航空会社ドイッチェ・ルフトハンザが誕生し、軍の利益を考慮しながら発展していった。
1933年、ルフトハンザはドルニエ社に、「乗客6人が搭乗可能な高速郵便輸送機」を発注した。
高速郵便輸送機は新聞の原版や郵便を迅速に地方に配達し、技術をアピールするのが目的であったが、爆撃機に転用できるためドイツの周辺諸国は不安を抱いた。
当時は、欧州各国、アメリカ、ソ連なども商用機の名目により、戦争に備えた航空技術開発に取り組んでいた。
1934年11月23日、試作機(V1)が初飛行。液冷V型12気筒エンジン(BMW VI)双発で、爆弾倉を設置しやすい肩翼を採用している。
1935年3月16日ドイツ再軍備宣言。
ドルニエ社はルフトハンザに試作機3機(V1・V2・V3)を納入したが、「客室が狭く乗降しにくい」という理由で返却される。
ドイツ空軍向けに、胴部に爆弾倉が設置され、双尾翼とした爆撃機型試作機(V4)が作られた。
1936年、スペイン内戦が始まる。ドイツは義勇軍の名目で空軍を派遣(コンドル軍団)。
1937年、最初の量産型であるDo17E-1が制式採用される。
4月26日、コンドル軍団とイタリア空軍によるゲルニカ市の無差別爆撃に、Do17E-1が1機参加。この頃からドイツの新鋭機の投入が本格的になる。
一時は高速を武器に防御火器無しでの運用も考えられていたDo17だったが、人民戦線軍の戦闘機(I-15、I-16)による損害が相次いだ。戦訓から、防御火器を増設し、空冷星型9気筒エンジン(ブラモ323A-1)を採用したZ型が開発された。
1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻に参加。
1940年、ドイツ軍のバトル・オブ・ブリテンに参加。
Do17Z-2では最高速度が427km/hに向上したが、ホーカーハリケーンMk.2の523km/hにすら100km/h近く劣り、現場では「高空から緩やかな降下に入って速度を増しながら攻撃地点に向かい、爆撃する頃に時速600km/hを超え、敵戦闘機の追撃を振り切る」「Do17が低空から侵入して小型爆弾で空港の施設に打撃を与え、他の爆撃機は高空から爆撃する」など、旧式化し始めたDo17を運用するため知恵をしぼった。
しかし、RAF戦闘機の迎撃による損耗は激しく、Do17は爆撃機としての第一線から退き、生産終了。
RAFの夜間爆撃に対抗し、Z型を改造した夜間戦闘機型が作られ、「カウツ(梟)」と呼ばれた。
Z-6(カウツI)はZ-3の機首をJu88Cの機首に換装したもので、赤外線を照射する機と、受動型赤外線暗視装置「シュパナー」で赤外線に照射された敵機を探す攻撃機でペアを組んで夜間攻撃を行う。しかし、闇の中で元爆撃機同士が息を合わせて敵機を探すのは困難を極めた。
その反省から生まれたZ-10(カウツII)は、赤外線サーチライトと「シュパナー」を諸共に装備し、武装も強化されている。地上レーダーによる誘導管制も相俟ってようやく接敵できるようになった。
Do215
1937年、ドルニエ社は輸出型のデモ機として、Do17Z-0を用意。ドイツ航空省は輸出型にDo215の名称を割り当てた(V1)。この機はのちに墜落した。
試作2号機(V2)は空冷2重星型14気筒のノーム・エ・ローヌ14NOエンジンを搭載して完成するが、性能は向上せず、受注は無かった。
1939年、試作3号機(V3)に液冷倒立V型12気筒のダイムラー・ベンツDB601エンジンを搭載したところ、最高速度はZ型を上回る415km/hに向上し、スウェーデン空軍からの注文があった。
Do215V3には型番Do215A-1が与えられ量産が始まるが、第二次世界大戦勃発によりスウェーデンへの輸出は禁止され、Do215Bとしてドイツ空軍へ編入された。
1941年、Do215B-5型は機首をJu88Cの機首に換装して夜戦型に改造され、カウツIIIと呼ばれた。リヒテンシュタイン・レーダーを搭載する、ドイツ軍初のレーダー搭載夜間戦闘機である。
101機が生産された。
評価
高速で敵戦闘機を振り切ることを狙い、空力を重視したDo17は拡張性が無く、爆弾搭載量を増やすことも武装増強も思うにまかせず、改良は小規模なものに止まった。肝心の速度性能も第二次世界大戦開戦時には時代遅れとなっていた。
しかし、頑丈で低空性能が良かったため、「つなぎ」としては充分役に立ったといえる。
Do17で得られた経験やノウハウは後の機に生かされる事になった。