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足柄(重巡洋艦)の編集履歴

2015-12-22 23:49:08 バージョン

足柄(重巡洋艦)

あしがら

足柄とは、日本海軍の重巡洋艦の1隻。

足柄とは、妙高型重巡洋艦3番艦、1929年就役する(神戸川崎造船所製)。 艦名は神奈川県箱根の足柄山に由来している。


経歴

1934年、秩父宮雍仁親王が満州国訪問する際の御召艦を足柄が務めている。

1937年にはイギリス国王ジョージ6世戴冠記念観艦式に招待され、現地で「飢えた狼」の二つ名を頂戴した。 日本側は「軍艦らしい精悍さ」を褒められたと解釈して好意的に受け取っていたが、実際は居住性を無視して攻撃的な装備を追求したデザインを見て「気品さに欠ける虎狼のようだ」という感想を英国流に皮肉ったものといわれている。

このイギリスの評価は、元々世界中にある植民地を巡回するために居住性に気を使うことで乗組員の士気低下や反乱を防ぐことを重視しているイギリス海軍と、基本戦略が日本近海で地の利と補給路の短さを生かした決戦思想を重視して遠出してもせいぜい東南アジア・西太平洋までだった日本海軍との戦略思想の違いによるものである。

なお、居住性を特に重要視していないアメリカやフランスなどでは、足柄を「すばらしい機能美」と高い評価をしている。ちなみに、足柄を含む妙高型重巡洋艦は後に施された大改装により、劣悪だった居住性はかなり改善されている。


戦歴

太平洋戦争ではスラバヤ沖海戦レイテ沖海戦、日本海軍の組織的戦闘における最後の勝利と言われる礼号作戦に参加している。


スラバヤ沖海戦では激戦の末に残弾が尽きかけていた姉妹艦那智羽黒の応援として、共に行動中だった妙高とともに駆けつけ、羽黒の猛攻で手負い状態になっていたイギリス海軍重巡洋艦「エクセター」を撃沈している。余談であるが、エクセターは上記の国王ジョージ6世戴冠記念観艦式の時に足柄と共に参加していたドイツ海軍のポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペーを自沈に追い込んでおり、大本営は海戦終了後にその仇を討ったと喧伝している。この海戦終盤に足柄は浮上してきた潜水艦パーチに対して、高角砲による砲撃を行って撃沈に追い込んでいる。


戦争中盤ではシンガポール方面を担当する第二南遣艦隊の旗艦となり、東南アジア各地を駆け回っている。しかし、アメリカ海軍の進出により激戦が続いたソロモン諸島方面に比べて、東南アジア方面では北アフリカと本国防衛で手一杯なイギリス海軍の動きが鈍いこともあって落ち着いており、自らを「留守部隊」と自嘲する乗組員も居たという。


1944年に北方方面部隊への配置換えによりアリューシャン方面の警備任務についていたが、6月に行われたマリアナ沖海戦での敗北後に立案されたサイパン島突入作戦に参加することが決定し横須賀に入港している。この作戦は実行前に中止となったが、その直後に起こった台湾沖航空戦の戦果誤認により残敵掃討任務を与えられて南方方面に再進出している。


レイテ沖海戦では志摩艦隊の一員として参加しており、スリガオ海峡海戦において先行していた西村艦隊が壊滅して圧倒的劣勢の中、雷撃を敢行するなど奮戦するものの戦果なしで退却している。


レイテ沖海戦での敗北後、フィリピン北部のミンドロ島に上陸したアメリカ軍に対して水上反撃計画礼号作戦が立案されて、足柄を始めとしたフィリピン近海に残されていた艦艇が集められて挺身部隊が編成されている。部隊を指揮した木村昌福少将の手腕により作戦は成功するものの、足柄はB-25の体当たりにより中破して数十名の死傷者を出している。

作戦終了後、木村少将は進撃中に大破沈没した駆逐艦清霜の救助のために座乗していた駆逐艦一隻を残して他は撤退するように命令しているが、足柄と大淀、そして駆逐艦朝霜が残り、散発的に攻撃を仕掛けてくるアメリカ海軍魚雷艇を撃退している。また、追撃のアメリカ巡洋艦隊が派遣されてきたが、捕捉されることもなく救助活動を終了し帰投に成功している。


1945年にシンガポールを拠点として第十方面艦隊が編成され、足柄は羽黒とともに方面艦隊直属の第五戦隊に配置されている。他に妙高や高雄も残されていたが航行不能の状態で浮砲台として使われており、実態は南方に取り残された残存艦の寄せ集めであった。

5月にナチスドイツが降伏したことにより余裕が生まれたイギリス軍の再進出により、日本軍はそれに対応する形で部隊の集中再編を行っていた。輸送艦がほぼ全滅していたため、大型の船体をもつ足柄と羽黒は人員や物資輸送に駆り出されていたが、ペナン沖海戦において羽黒が力尽き、稼働している軍艦は足柄と駆逐艦神風の二隻のみとなっていた。


1945年6月、陸軍兵移送任務中で別行動を取っていた神風と合流を試みている最中に、イギリス海軍潜水艦トレンチャントの雷撃を受け艦首を吹き飛ばされて大破。即座に高角砲による反撃を開始するものの、さらに雷撃を受けたことにより傾斜が深まり沈没することとなった。

被雷から20分ほどで沈没したものの魚雷や砲弾などの誘爆がなかったことから、乗組員と便乗していた陸軍兵のほとんどが退艦に成功しており、駆けつけた神風によって1200名以上が救助された。神風の乗組員やその他の証言として、沈没現場に到着した際、乗組員や陸軍兵たちは足柄の艦形そのままに浮いており、銃や軍刀を濡らさないように頭上に掲げる者や軍歌を歌う者、さらには一緒に漂流していた木箱から缶詰を取り出して豪胆にも食べている者も居たという。


1945年8月20日除籍。


戦後

沈没から60年が経ち、海上自衛隊があたご型護衛艦(イージス艦)の2番艦として、本艦を襲名する「あしがら」を建造、2005年4月6日に起工された。2006年8月30日、三菱重工業長崎造船所にて挙行された進水式において命名された。現在は第2護衛隊群第2護衛隊に所属し、定係港は佐世保である。


関連タグ

大日本帝国海軍 日本海軍 重巡洋艦

足柄(無印)

神風

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