概要
重巡洋艦足柄は、1937年に英国国王ジョージ6世戴冠記念観艦式に招待され、現地で「飢えた狼」の二つ名を頂戴した。
あるイギリス人記者からは「今日私は初めて軍艦を見た。今まで私が見てきたのは客船だった」とも評された。“戦闘能力偏重で居住性の欠片も無い無骨一辺倒の艦”であることを、英国流に皮肉ったものといわれている。
が、これには更なる誤解がある。
つまり、イギリス海軍と日本海軍の目的の違いである。
そもそも日本は第一次世界大戦まで、朝鮮・台湾のような本国に近いところにしか海外領土を持っていなかった。第一次大戦後旧ドイツ領のミクロネシアを受け継ぐがそれでも太平洋全体からすれば日本の目と鼻の先である。
つまり大日本帝国海軍は基本的には近海防衛型の海軍だったのだ。現在の海上自衛隊に近い性格なのである。
ではなぜ高い外洋航行能力が求められたのかというと日本海に接続する海域が時化やすいため、凌波性を求めたからで、長い航続力はそもそもはその余禄だった。
つまり、日本の軍艦設計では長期航海はある程度割り切ってよく、排水量が制限されれば真っ先に削るのは当たり前の要素だったのだ。決して言われるように人間的な配慮の欠如によるものではない(そう見えてしまうのは条約も何にもない現在の自衛隊と比べてしまうから。自衛隊も予算の縛りがきつかった時代のむらさめ(III)型とかはお察しください)。
問題はこの前提が運用者である連合艦隊の首脳陣のアタマからすっぽ抜けてたことなのだが……
対するロイヤルネイビーは当時「日の沈まぬ大英帝国」と厨二病全開で自称していたとおり、世界各地に植民地・租借地を持ち、それらを防衛したり、また現地人にその威容を見せ付けて支配を磐石にする必要もあった。このため当然、イギリス海軍の軍艦は長距離航海が必須の条件になり、多少火力の不満足に目を瞑っても居住性と航続力を確保する必要があった。そして隔絶された環境で乗組員の不満が爆発して艦の運命を脅かすような叛乱も度々起こっていたという事情もあった。
この逸話は要するに、お互いの立ち位置を考えずにつぶやいた素人の言葉なのである。
例えるなら同じ軽自動車だからと、全く使用目的の違う軽トラと軽トールワゴン(ワゴンRみたいなの)を同列に比較して「乗り心地が悪い」「荷物全然積めない」と言い合うようなナンセンスな状態なのである。
ちなみにフランスの作家ジャン・コクトーが足柄の機能美を褒めているが、フランス海軍もアメリカ海軍も居住性は悪かった。当時軍艦の居住性に配慮していたのはイギリスくらいのものである。
また、この言葉とは関係ないが重巡洋艦の居住性は新造される度に向上を続けており、足柄はまだその途上の一つである。最上型クラスまでくるとかなり改善されていた。
だいたいが、イギリスもイギリスで戦闘能力があるのか甚だ疑問が残るものばかり造ってるわけなのだが……
大体当のイギリスの条約型重巡であるカウンティ型からして、集合煙突の大和やゴツいC62を美しいと思う日本人の美的センスからすると「無駄なピザデブ」にしかならなかったり……
ちなみに諸悪の根源は、ハード面では勿論この御仁であるが、運用面ではなぜか失言が多いにもかかわらずあんまり悪く言われることのないこの方だったりする。
真相?
イギリスの皮肉が元であるなら、当然イギリス側にも飢えた狼の事を記した資料が残っているはずである。
だが、実際にはそういったものは見つかっておらず、足柄を「飢えた狼」と評しているのは全て日本側の資料である。
イギリスへ向かう途中のポーランドで、英空母「イーグル」と並んでいた所を見た或る人(或る人、としか書かれていない。記者なのか軍関係者なのか不明。単なる一般人の可能性もある)が「イーグルは丸っこくて女の子っぽいけど、足柄は狼みたいだ」と言ったという資料なら残っている。
これは純粋に見た目だけの比較であって、居住性がどうとか日英の用兵思想の違いがどうとか、そういったものは全く関係ない。
恐らく、足柄搭乗員の間で「何か外国人が足柄のことを狼っぽいと言ったらしいぞ」というような話が伝言ゲームを続ける内に尾ひれが付き、いつの間にか「イギリス人が皮肉で飢えた狼と言った」と認識されるようになってしまったと思われる。
上記の資料の三年後に書かれた別の資料では既に「イギリス人が飢えた狼と評した」と書かれている。
関連タグ
足柄:このタグの大半は「艦隊これくしょん」の足柄(とその姉妹艦)で占められている。改二になってからは特に顕著。
熟れた狼:上記のちょっとした応用。
売れた狼:上記のさらに応用。
アシガラ:武闘派な粗忽者。40っゴボガボコボボボボボオ!!!
青葉(重巡洋艦):こちらは戦歴から「ソロモンの狼」の異名を付けられている。
飢狼伝説:誤植。これと足柄との関連については艦隊伝説も参照のこと。