※「如来」とは仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。若しくは大乗仏教における諸仏の尊称でもある。
釈迦如来とは、釈迦は如来(正等覚者として涅槃に至り、六道輪廻を脱した存在)であるという
仏教側の信仰に拠った敬称である。キリスト教でいえば、ナザレのイエスをイエス・キリストと呼ぶようなもの。
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概要
生没年は紀元前463~383年、同560~480年など諸説ある。
中部ネパールのシャーキャ族(釈迦族)の王の子として生を受ける。姓はゴータマ、名はシッタルタ。母の摩耶夫人(まやぶにん)は出産前夜、自分の胎内に六つの牙を持つ白い象が飛び込む夢を観、その後、彼を産んだ。預言者は夢の話を聞くと「生まれた子は覇王か聖者のどちらかになるだろう」と予言し、あまねく知られる通り、後者の予言が的中した。
出家は29歳、遍歴の末35歳で悟りを得た。のち鹿野園(ろくやおん)で五人の修行者を教化し(仏教教団の成立)、以後80歳で入滅するまで教化の旅を続けた。
……が、法華経によると既に気が遠くなる程昔に悟りを開いており、
求道の姿を衆生に示すために釈迦族のゴータマとして地上に生まれて見せたのだという。
チベット仏教におけるトゥルク(活仏、化身ラマ)もこれと似た発想である。
如来としての「釈迦如来」
宇宙の遍くところに化生(≒転生)し、人々を教化して悟りに導くとされる。
どの宗門宗派でも、仏教の根本的な伝道者として尊ばれる。
“釈迦牟尼無上大覚世尊”と尊称されることもある。
上部座仏教・大乗仏教・日蓮宗で解釈が分かれる仏様でもある。
御真言は――
ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク
創作への出演
民間伝承でも常に善の存在として頻繁に登場する。
古くは「西遊記」で重要な役どころとして登場し、近年では芥川龍之介の「蜘蛛の糸」等が名高い。
西遊記での釈迦如来
天界の神々さえ畏敬する、西遊記世界における最上の存在。
脇侍に観世音菩薩を随えている。
初登場時は見上げるほどに巨大な姿で降臨した。
天界で催されるはずだった宴会に招待され、顔を出すはずだったが、それを孫悟空が怒りにまかせて荒らし回ってしまい、それを見咎めて悟空と掛けの勝負に出る。
内容は「私の手の届かない場所まで逃げられるか」というもの。
悟空は簡単だと豪語し、世界の果てまで“觔斗雲の術”で飛び去り、そこで金色の御本の柱を見つけて一筆したためて帰った来る。
ところが帰って賭けの結果を明かしたとき、釈迦の指に悟空の墨跡がしっかりと書き留められていた。
釈迦如来とは宇宙無遍に存在し、化生し、衆生を救い続ける仏であり、すなわち宇宙に生きる限り釈迦如来からは絶対に逃れられないという、最初から悟空に勝ち目などない相手だった。
インチキだと怒る悟空だが、最初に“どんな結果でも文句は言わない”と約束したために、物言いは却下される。
そして釈迦如来の手に握りしめられた悟空は、そのまま地上へと叩きつけられ、叩き付けた手は岩へと変化して悟空を岩屋の中に閉じ込めてしまった。
その後数百年ののち、悟空は玄奘三蔵の登場を待ち続け、ともに天竺を目指すことになる。
終盤にて再登場する。
このときは三蔵一行に最後の試練を与え、天竺の経典を得るに値するか否かの見極めをおこなった。
蜘蛛の糸での釈迦如来
釈迦如来は、極楽にある蓮の池から地獄を覗き、そこで盗賊カンダタの姿を見つける。
地獄で苦しむ姿を見かねた釈迦如来は、彼が生前に一匹の蜘蛛を助けたことを見抜き、その僅かな慈悲の心に賭けて、そばにいた蜘蛛に糸を垂らさせ、地獄へと下ろした。
カンダタは歓喜して蜘蛛の糸にすがるが、途中からカンダタに便乗してきた亡者たちを前に欲をかいてしまい、糸はその邪念に反応して切れてしまった。