それまでは武士が一番上で、士農工商という順序がつけられていたが、そういう差別を全く撤廃して、国民は全て平等であるというものである。
従来、差別待遇を受けていた気の毒な村落があったが、この宣によって差別がなくなったのである。
やがて中央融和事業協会という組織ができて、社会事業として被差別村落を救済した。
徳川幕府から圧迫を受けていたため、気の毒な村落の人々は徳川家を憎んでいたが、明治天皇のおかげで自分たちは日本人になれたと喜び、四民平等を定められた皇室を大変ありがたがっていた。
明治時代に四民平等の制が布かれて後にもその制が残り、不幸な村落の人々の中からも立派に世に出た人もあり、役人も立派に出世した。
余談
実は士農工商という言葉は日本の言葉ではなく、元々は支那(中国)からの輸入語であり、士農工商の「士」とは支那における士大夫を意味している。
支那は完全世襲式で身分が固定化された社会であり、身分差別も酷いものであった。
しかし一方の日本では、身分ごとに厳しい制約があり、事細かにきめられてはいたものの、身分制度そのものは流動的で緩やかなものであり、上述した支那における身分制度やインドにおけるカーストのように生まれつき身分を固定するようなものではなかった。
現に江戸時代以前から、農民から武士に、武士から商人になっている者もいる。
誤解があるのは、戦後における日本と日本人の尊厳と名誉心を貶めようとしてきた勢力は、巧妙に言葉を抜くなどして印象操作を行ってきたことにあるが、近年はインターネット技術の進歩などにより情報の収集が容易になったこともあり、こうしたそれまで世間では隠蔽されてきた情報が明るみに出るようになったとされる。
江戸時代の日本について海外の著名人の評価
「ヨーロッパにあってこの日本にないのは、科学技術だけであって、あとのすべてはヨーロッパより優っているのではないか」カール・ツンベルク“ツェンベリー”(スウェーデン植物学者)
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もいない。これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」タウンゼント・ハリス(アメリカ外交官)