概要
杉原家定(秀吉の正室北政所の兄)の息子で、後に豊臣秀吉の養子となる。その後1594年、秀吉の命により五大老・小早川隆景(こばやかわたかかげ)と養子縁組し、以後小早川氏を称するようになった。1600年の関ヶ原の戦いで西軍を裏切り、東軍に勝利をもたらしたといわれる。
その後岡山藩55万石に加増を受けるが2年後の1602年に突如として逝去、わずか21歳という若さで亡くなり、子供もいなかったために岡山藩も取り潰しとなった。さらに遠戚関係を持つ豊臣家も滅ぼされたために小早川秀秋について書かれた資料はあまりにも少なく、その詳しい生涯は未だ謎に包まれている。
あまりにも突然の死だったために、大谷吉継の怨霊に憑かれたのではないかという逸話がある。
裏切り?
近年の研究では、小早川秀秋は開戦前から東軍であったと言う説が強く提唱されている。
戦前から東軍による小早川家への調略は盛んに行われており、黒田長政を通して家康に東軍寄りである事を示した書状が現存している。
一方、三成・吉継ら西軍首脳もこの動きを察知しており、秀頼が成人するまでの間の関白職などを約束して慰留を行っている。
そして何より、小早川軍は開戦の時点で松尾山に布陣しているのだが、ここに陣取ったのは西軍の伊藤盛正を追い出したからである。
こうした動きを考えると、小早川軍は最初から東軍であり、各軍首脳もそれを把握していた、考えた方が自然である。
ただ、この時期の研究はまだ半ばであり、未だ謎も多いため、確実に従来説が覆ったとまでは言い難い。今後の研究が待たれる。
なお、「徳川軍に鉄砲を撃ちかけられて裏切りを決意した」と言う説も有名だが、当時使用されていた銃の銃声の大きさや戦場の喧騒を考えると、到底小早川軍に届くほどの音量にはならず、非常に疑わしい。
小早川秀秋は暗愚だったか?
秀秋への悪いイメージは昔から付きまとっており、「優柔不断で暗愚、人望も薄く一門の長でありながら兄たちに劣る」と酷評されていた。しかしながら、朝鮮出兵で武功を立てたことに加え、岡山藩主として家老たちの補佐を得ながらも無難な執政ができており、領民からも慕われていたという。
また無名の若者が天下人・秀吉から寵愛され、名将・小早川隆景の養子となり三十万石以上の大名となるという恵まれ過ぎた境遇に、不快感や妬みを持つ人物がいてもおかしくはない。
こうした評から、彼を一概に暗愚と扱う説には疑問が呈されている。周囲の嫉妬と価値観の変遷が数百年にわたって「愚将・秀秋」の評を強固に後付けした、とも十分見られるのである。
創作においての扱い
関ヶ原の戦いで西軍を裏切り東軍に寝返ったという印象が強いなため、小早川秀秋は卑怯者・優柔不断というイメージが強く、大河ドラマやアニメ・ゲームなどの創作でもそれが反映されていることが多い。
戦国無双
武器:2~4まで槍(ただし2の裏切りムービーでは刀を所持) 刀剣(4Empries) 声:岡本寛志(chronicle 2ndまで)
「秀秋を・・・裏切り者の軟弱者と呼ぶな呼ぶな呼ぶな!」(Empでの特殊セリフ)
「怯むなー、鉄砲より叔母上の方が恐いぞ!」(2の関ヶ原乱入)
「叔母上の方が恐い、味方にはなれぬ!」
「我らの敵は三成だ、これより西軍を攻めるぞ!」(3の裏切り時台詞)
「叔母上!?いや、今、叔母上にお味方しようと…!」(3猛将伝:ガラシャの章・関ヶ原の戦いより)
2から初登場。普通のシナリオだと史実通りに西軍から東軍に寝返るが、叔母のねねに頭が上がらず、彼女が関ヶ原の戦いに乱入した際には西軍でも東軍でもなくそちら側についた。
島左近に非難されようと「我らは東軍でも西軍でもない、ねね軍だ!」と言ってのけ、布施孫兵衛に銃撃されようと服部半蔵に脅されようが、ねねを裏切らなかった。(秀秋曰く叔母上の方が怖いとのこと)
ねねに頭が上がらないというのは後続の作品でも受け継がれており、戦国無双3猛将伝のガラシャの無双演武の関ヶ原乱入ではねねと接触しガラシャ達に味方(その際につられて小川祐忠と脇坂安治が味方についた)、戦国無双chronicle2ndでもねねに見つかり半ば強引に味方した。
また豊臣秀吉の外伝の関ヶ原では、裏切らずに頑張りましたと言っている。
なお3の明智光秀の章や4-Ⅱではプレイヤー側に寝返ることがない。3では他のシナリオと同じく西軍に属すが、何故か西軍が有利と判断して裏切ろうとしない。4-Ⅱでは西軍シナリオは裏切りを阻止できず(例え吉継シナリオでも)、東軍シナリオでの末路は「砲撃開始直後で吉継に処断される」または「既に説得されてきれいな秀秋になる」。
4Empriesでは固有武将の1人として登場し、武器が変更されて登場した。
また、GREEで配信されていたソーシャルゲーム100万人の戦国無双にも登場した。
戦国BASARA
詳しくはこちらを参照 ⇒ 小早川秀秋(戦国BASARA)
采配のゆくえ
詳しくはこちらを参照 ⇒ 小早川秀秋(采配のゆくえ)
戦国武将姫MURAMASA
紫髪ツインテオッドアイのロリ娘(イラスト右)。ゲーム中では宇喜多秀家(イラスト左)との関係がクローズアップされている。
まだ羽柴秀俊と名乗っていた頃は、一緒に豊臣秀吉が開いた吉野の花見に参加するなど秀家らと親交があったが、秀秋が関ヶ原の戦いで西軍を裏切った事で関係は断絶、深い恨みを買う事になる。ここまでは(キャラデザを除いて)史実通りである。
しかし2013年夏に開催されたイベント「宇喜多の夏日記2」にて、八丈島に流されて一人寂しく余生を過ごしている宇喜多の元に、秀秋が船で尋ねに来るというシナリオが展開された。宇喜多は秀秋の謝罪を受け入れ、再び友として秀秋を迎えて共に夏を過ごす。
しかしこのシナリオには、プレイヤー達から不穏な予測が建てられる事になった。
1.時期的に考えて、宇喜多が八丈島に居る時点で秀秋は既に死去している
2.秀秋のカード名が「精霊船」、スキル名に「弔鐘」、秀家との特定連携名が「盆の迎え火」
3.イベント最終日、公式twitterでの秀秋の「これが最後の裏切り」と言う呟きと、姿が見えなくなった秀秋を必死に探し回る宇喜多の様子
これらから導き出された答えは、
「秀秋は既に死んでおり、精霊船に乗った魂がお盆の期間だけ宇喜多に会いに来た。
盆(イベント)が終われば秀秋はあの世へ帰り、宇喜多は再び友を失って一人ぼっちに戻ってしまう。」というものであった。
しかし実際にイベントが終わってみると、そこには元気に宇喜多と海の家を営む秀秋の姿が!
「さんざん思わせ振りな演出をしておいて投げっぱなしかよ!」と困惑するプレイヤー達はやがて気付く。
秀秋が裏切ったのは、プレイヤー達が予測した悲しい未来だったのだ。
MUSASHI-GUN道-
『MUSASHI -GUN道-』にも登場。声優は武藤正史。
関ヶ原の戦いの功労者だが捕えられてしまい、それを根に持ち徳川幕府に復讐をしようと考える。
ムサシの持ったGUN鬼の銃を奪った直後に精神をGUN鬼に取りつかれてしまい暴走。その後、銃はムサシの手元に戻るが小早川はヤシャに連れ去られてしまい以降、物語から姿を消す。
「何故後ろに月が!?」「皆殺しだアヒャヒャヒャヒャ!!」といった迷台詞と声優の怪演も相まってか放送当時はカルト的人気を引き起こした。
ちなみになかなかのハンサムボーイである。
風雲児たちシリーズ
せっかくなのでこのバージョンも貼っておこう。
こちらは漫画家のみなもと太郎氏が書いたバージョンで
「アホだった」説を採用し、「本人の肖像画」に「坂田利夫と言うかアホの坂田」を混ぜたデザインで、外見どおりアホである。
これは史実通りなので他のに比べたらメチャクチャだが
みなもとさんだから仕方ないね、興味があるなら、一応関ヶ原の戦いで重要な仕事を為した上に、戦後処理でひどい仕打ちをされた悲劇の男として描かれる、風雲児たちシリーズにも是非目を通して貰いたい。