概要
「世界という船」の沈没を、皇后エリーザベトの生涯を、彼女に付きまとう「死(トート)」の恋を通して描くミュージカル作品。
正式タイトルでは「皇妃エリザベート -愛と死の輪舞(ロンド)-」という名が定着している。
作曲はシルヴェスター・リーヴァイ、脚本・作詞はミヒャエル・クンツェ。
1992年にウィーンで初演されて以来、各地で上演され続けている。ミュージカルの本場はイギリスのウエスト・エンド、アメリカのブロードウェイと認識されている中で、ウィーン発のミュージカルとして大ヒットした。
日本では1996年に宝塚歌劇団の雪組が小池修一郎演出・潤色、一路真輝主演で初演して以来、宝塚歌劇団の人気演目として上演され続けている。また同じ演出家で東宝が上演し、好評を博している。
日本版では本場ドイツ語の発音である「エリーザベト」よりも「エリザベート」の方がよく認識されているため、「エリザベート」と表記される。ここでは日本版にならってタイトル・人名は「エリザベート」と表記する。(「エリザベート」はフランス語読み、英語では「エリザベス」になる)。
ストーリー
煉獄の裁判所。そこでは100年前にエリザベートを暗殺したルイジ・ルキーニが尋問されている。裁判官に対し、「エリザベート自身が死を望んだ、死(トート)を愛していた」と訴えるルキーニ。彼はそれを証明すべく、黄泉の国からハプスブルク家の面々を蘇らせる。死者たちは自分たちの人生を再び演じ始めた―――。
少女の頃、エリザベートはサーカスの曲芸を披露する途中に転落。生死の境をさまよい、そこでトートと出会った。ところが死へ導くべきトートは彼女に惹かれ、命を助けてしまう。その後、姉のお見合いに付き添っていたエリザベートは、皇帝フランツ・ヨーゼフに見初められ、オーストリア皇妃となる。だが、宮廷へ嫁いだ彼女を待っていたのは義母の皇太后ゾフィーによる厳格なお妃教育。それは自由奔放に育ったエリザベートにとって、牢獄生活に等しいものだった。夫の支えも得られないと感じたエリザベートは孤独を味わい、私は私だけのもの、自分は誰にも強制されないのだと誓う。トートはエリザベートを死の世界へ誘おうと、婚礼の場や寝室などへ姿を現しチャンスを狙う。孤独な魂を慰めるかのように、夫や息子ルドルフを置いて、放浪の旅に出るエリザベート。彼女が自由を求めて旅を続ける間に、フランツとルドルフの政治的な確執は深刻化し、トートの触手はルドルフに伸びていた。度重なるトートの誘惑を拒絶してきたエリザベート。彼女が最後に望んだものは・・・・・・。
(「ウィーン版ミュージカル エリザベート20周年記念コンサート」公式ホームページより)
キャラクター
エリザベート
ウィーン版、東宝版、その他各国版では主人公(宝塚版ではトートが主人公)。オーストリア帝国の皇后。愛称はシシィ。自由奔放な性格で、かつ個人主義者。
十二歳の頃木登りをしていて落下し意識不明になる(宝塚版では綱渡り、ハンガリー版ではブランコから落下と設定が違う)、目が覚めた際に金髪の美青年が自分をベッドに連れ戻してくれたと感じる。彼が「死(ドイツ語でTod)」であることに気付き父に重ねて憧れを感じるも、生涯に渡って彼の誘惑を拒み続けることになる。
その後姉とオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフのバートイシュルでの見合いに同行した際にフランツ・ヨーゼフに見初められ、オーストリア皇后になるが、元々自由奔放な田舎娘であるエリザベートは窮屈な宮廷での生活や、ゾフィーが押しつける「皇后の務め」に耐えられず、フランツ・ヨーゼフの浮気を知るとそれをきっかけに放浪の旅に出る。
トート(死)
宝塚版の主役。ウィーン版では純粋に「死」の擬人化だが、宝塚で上演するにあたってトップが演じる役が「死」では不味かったため、また日本では「自由」や「死」のような抽象概念を擬人化する文化がなかったため、「黄泉の帝王トート閣下」という設定に変更された。東宝版でも役名は「死」ではなく「トート」のまま。日本版とウィーン版では出番が四倍程違うともいわれている。
ウィーン版ではルドルフを煽る以外に主体的な行動はあまりしないが、宝塚版では若い革命家にウィーンへ行くように仕向けたり民衆を扇動したりと、行動が非常に主体的である。
木登りで足を滑らせ落下し意識を失ったエリザベートの命を助け、その後結婚式や戴冠式などあらゆる場面にある時は司祭、ある時は宮廷医師ドクトル・ゼーブルガーなどに扮装して現れては再三に渡って彼女を誘惑する(=自殺するように仕向ける)。最早エリザベートのストーカーといっても過言ではない。しかしエリザベートは彼が自分に与える自由が、自分の求める自由とは違うと理解しているので彼に最後までなびかない。
トートはプロダクション毎に解釈が違うのも特徴である。本家ウィーン版では両性具有の死の擬人化とされているのに対して、宝塚版では黄泉の帝王トート閣下とされているが、「トートはエリザベートの一部で自殺欲求」という解釈もある。
ウィーン初演版、再演版では金髪の青年で基本的に白い衣装、もしくは黒い夜会服のような衣装を纏っている(再々演版では現代風になっている)。宝塚版は「紫がかった白髪」と小説版では描写されるが、実際は金髪であったり紫であったり様々である(トート役を演じる男役の役作りの一環でもある)。
トートが「マイヤーリンク」のシーンで踊るのは西洋には「人は死ぬときに死と踊る」という言い伝えがあるためである。ウィーン版初演版・再演版でトートは度々ロックスターのような衣装を着ているが、そもそもトートのモデルはエリザベートが敬愛した若き日の革命詩人ハインリヒ・ハイネとロックスターのデヴィッド・ボウイであると作者二人が発言している(リーヴァイ氏によると初演時にデヴィッド・ボウイのエマージェンシーに連絡もしたらしい)。
ルイージ・ルキーニ
イタリア人の無政府主義者で、エリザベートを暗殺した人物(史実でのルキーニはフランス育ちの元イタリア軍兵士)。役者はルキーニが逮捕された時の服装を着ている。ドラマを動かす活躍は(ラスト付近を除けば)あまりしないが、狂言回しの役割を担うため出番も多い。観客と物語の橋渡しを担う。ウィーン版・東宝版では民衆を扇動するような行動が多いが、宝塚版でそれをするのは大体トートである。
ルドルフ
エリザベートとフランツ・ヨーゼフの息子。オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子でありながら王政を否定し、父と政治思想で対立する(宝塚版・東宝版では諸民族の不満を抑えるためにドナウ連邦を建国するべきだと主張している)。子供の頃、祖母・ゾフィーの下で軍隊式の教育を受けていたが、母エリザベートがルドルフに対するあまりに厳しい仕打ちを見かねてフランツ・ヨーゼフに最後通牒を突きつけた結果、エリザベートにルドルフ養育権が移る。が、エリザベートは姑ゾフィーに勝利したことに満足し、ルドルフの育児を放棄。
母エリザベートを「僕はママの鏡」と思慕しているが、スキャンダルで窮地に立たされたルドルフがエリザベートに助けを求めても彼女は彼を拒絶。
幼い頃にトートと出会っており、「闇が広がる」のドイツ語歌詞でも彼の事を「友達」と言っている。
フランツ・ヨーゼフ
オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝、エリザベートの夫。厳格かつ生真面目。物語序盤では母であるゾフィーの言いなりになっているような描写が目立つが、エリザベートの最後通牒を受け入れてからはゾフィーに反抗するようになった。エリザベートのことは深く愛しており、晩年夫婦関係の破綻を修復しようと試みるもエリザベートに拒絶される。
ゾフィー
フランツ・ヨーゼフの母で皇太后。「宮廷で唯一の男」と称される。どこまでも自由を求めるエリザベートを格式で縛ろうと試みる。エリザベートとフランツを引き裂くためフランツに娼婦を送り込むが、それがきっかけで逆にフランツに拒絶されることになる。
宝塚では実力派が演じることが多い。
日本での公演
宝塚版
1996年雪組で初演。一路真輝のサヨナラ公演だった。最初こそ評判はイマイチだったが、次第に人気が出始め、今日では宝塚歌劇団の人気演目として繰り返し上演されている。
ウィーン版ではあくまで主役はエリザベートであり、「エリザベートと死の絡み合いをハプスブルク帝国崩壊に準えて描く」事に主軸が置かれている。
しかし宝塚版ではトートを主役に据え(これは男役を必ず主役にするという宝塚のルールのため)、「エリザベートとトートのラブストーリー」に主軸が置かれている。その為ウィーン版をはじめとする各国版やその後初演を迎えた東宝版とはかなり趣が違う。あくまで主役はエリザベートではなくトートなので、ウィーン版や東宝版に比べてエリザベートの出番が少なく、逆にトートの出番が多い。
また、「マダムヴォルフのコレクション」や「マラディー」の展開が違ったりと、演出も大きく異なる(そもそもエリザベートはウィーン以外のプロダクションで公演する場合の表現に制約がないため、「翻訳」ではなく「翻案」になる)。また宝塚版から「愛と死の輪舞」というトートのソロ曲が書き下ろされている(この曲は後に編曲と歌詞を新たにしてウィーン再々演版でも採用された)。「私が踊る時」は一番がカットされ二番から歌われる。
宝塚版は演出・潤色・訳詩を手掛けた小池修一郎氏により、「エリザベート―愛と死の輪舞(ロンド)」というタイトルでノベライズされており、角川文庫から出版されている。
東宝版
2000年初演。演出・訳詩は宝塚版と同じく小池修一郎氏。宝塚版の際には「宝塚版はウィーン版を改竄している」という批判があったため、こちらは演出や歌詞をある程度ウィーン版に近づけている。
初演から2012年まで東宝版のエリザベート役は、全て宝塚の元・男役トップスターが抜擢されていたが、2015年元宝塚歌劇団の娘役トップスターであった花總まり、蘭乃はながWキャストでエリザベートを演じた。トートは大体ダブルキャストかトリプルキャストであり、特に山口祐一郎は初演から2012年までトート役で出演していた。2010年には城田優がトートを演じ、2012年はハンガリー版、さらに本家ウィーン再演版でトートを演じたマテ・カマラスがトート役で出演し、大きな話題を呼ぶ。そして2015年は城田優と、かつて初演でルドルフを演じた井上芳雄がWキャストとしてトート役で起用され、2016年版でも役代わりはない。
その他
エリザベートはヨーロッパを中心に数多く上演されているが、未だにウエスト・エンドとブロードウェイでは上演されていない(ウィーンミュージカルはブロードウェイで上演しても早々にクローズすることが多い)。ウエスト・エンドでは北アイルランド問題の関係で上演を断念した経緯がある。
前述の通り、エリザネートはウィーン以外のプロダクションで上演する場合演出に制約がないため(これはオペラ座の怪人等とは真逆である)、湖上での公演も行われたことがある。トートの立ち位置や設定にも大幅に変更される場合もあるが、これは宝塚版が最も顕著である。
楽曲
最後のダンス
トートのソロ。エリザベートの結婚式に現れたトートによる勝利宣言とも言える内容。曲調はロック。その役者のトート観が如実に現れる楽曲でもある。
私だけに
一幕中盤、一幕最後、そしてラストシーンと繰り返しリプライズされる。このミュージカルの要とも言って過言ではない曲(そもそもこのミュージカルはリプライズが非常に多い)。
一幕中盤のエリザベートのソロは、彼女の「私の人生は私のもの」というあらゆる束縛に対するアンチテーゼであり、彼女の個人主義的な部分が全面に出ている。
一幕最後でもエリザベートが主張していることはほぼ同じだが、そこにトートが「お前は俺の視線から逃れることはできない(ドイツ語歌詞)」「お前の命許したために/生きる意味を見つけてしまった/お前しか見えない/愛している(東宝版歌詞)」という歌詞を被せ、さらにフランツ・ヨーゼフも被せる三角関係の構図になる。しかし三人は一切ハモらない。
ラストシーンではエリザベートとトートのデュエットになるが、またもやエリザベートもトートも主張する事は大体変わらず、二人の主張は平行線を辿る。
キッチュ
ルキーニのソロ。エリザベートをからかうような歌詞だが、無政府主義者であるルキーニの視点から見たエリザベート批評でもある。
私が踊る時
トートとエリザベートのデュエット。エリザベートのナンバーの中でも人気がある。優雅な曲調に反して歌詞の内容は非常にハードである。
前述の通り宝塚版では一番がカットされ二番から歌われる。
この曲はウィーン初演版には存在しない後に追加されたナンバーで、東宝版ではこの曲が追加される以前は「狩り」というナンバーが挿入されていた。
闇が広がる
この曲は劇中で二度歌われ、二幕でトートとルドルフが歌うのは正確には「闇が広がる(リプライズ)」だが単に「闇が広がる」とだけ言うと、リプライズの方を指す。
一幕ではトートがエリザベートに語りかけるような曲調であり、二幕のリプライズでは今の国政に不信感を抱くルドルフをトートが革命へと煽る。
DVD・CD
日本版
宝塚版、東宝版ともにCDが発売されている。
宝塚版はほぼ全ての公演がDVDとして発売されているが、すでに中古でしか入手できないものも存在する。
東宝版は2016年版のDVDが12月に発売されることが発表された。
ウィーン版
オリジナルキャストCD等が発売されている(ただし、こちらは日本国内向けの商品ではない場合、日本語訳は付いていない事がある)。
ウィーン再演版のDVDが日本国内向けに発売されており、宝塚歌劇団や帝国劇場のネットショップで購入が可能。こちらは日本語字幕が付いている(ただし日本語字幕の評判はあまり良くない)。