概要
昭和39年に東京都で開催されたオリンピック大会。
昭和時代に2回(昭和15、昭和39年)、平成時代に2回(平成28年、平成32年)の計4回にわたって立候補しているが、現在のところ実際に開催されたのは昭和39年10月10日から10月24日まで行われた第18回夏季オリンピックの一回だけである。昭和15年の大会は、実施こそ決まっていたものの日中戦争の影響で(...ということになっているが後述のとおり組織委員会のすったもんだで開会できる見通しがつかなくなり、事実上詰んでいた)中止となり、幻の大会となった。
オリンピック開催に先立って首都高速道路の開通、東海道新幹線の開通、いわゆる「オリンピック道路」と言われる街路の拡幅などの巨大開発が行われ、現代の東京のインフラの基礎が築かれた。またこれに並行して、野良犬狩り、下水道整備など都市の美化が進められる一方、昭和30年代の古き良き東京の面影は消滅していった。
実現していない大会
昭和15年東京オリンピック構想について
昭和15年のオリンピックについてはライバルであるフィンランドのヘルシンキを上回り、開催が決定していたが、東京市や体育協会、文部省など関係団体の間の溝がなかなか埋まらず、組織委員会の編成から始まり、開催地からスタジアム、聖火リレーのコースに至るまでありとあらゆる計画がまとまらず遅れに遅れ、最終的には日中戦争の影響により中止となった(実のところ昭和15年オリンピックが実現しなかった直接の理由は、開催計画そのものが迷走に迷走を重ねて頓挫したせいであって「戦争のせいで中止になった」というより「戦争を口実に実現の目処が立たない五輪を返上した」というのが実際のところである)。
平成28年東京オリンピック構想について
平成28年に開催される予定の第31回夏季オリンピックを再び東京で開催する構想があり、東京都知事の石原慎太郎が中心となって招致活動を行ったが、平成21年10月のIOC総会でリオデジャネイロに敗れた。
都としてはこの東京オリンピックを起爆剤に巨大開発を進め(晴海埠頭に東京オリンピックスタジアムを建設する予定だった)、国際都市として脱皮をはかる腹積もりであったが、折しも公共投資)税金の無駄使い)への批判が強まった時期にも当たり、都民および国民の支持は低調であった(都税だけで費用をまかなえる保証がなく、国税の浪費にもなりかねなかった)。
余談であるが、予定されていた開催期間は平成28年7月29日から8月14日までで、メイン会場は中央区晴海に新設し、東京ビッグサイトにプレスセンターが置かれることになっていた。
夏コミに対するそこはかとない悪意を感じる向きもあるだろうが、多分邪推。
平成32年東京オリンピック(予定)について
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