概要
東洋の魔女とは、全盛を誇った1960年代の女子バレー全日本チームの俗称である。
現在のバレーボール界の日本のレベルからすると想像もつかないが、悪魔や魔物を連想させるほどの圧倒的な強さで敵国に恐れられたのである。
元々は1961年の欧州遠征で22連勝した『日紡貝塚』女子バレーボールチーム(監督:大松博文)につけられたニックネーム「東洋のまほうつかい」で、当時の日本代表は日紡貝塚を中心に結成されていたためそのままつけられた。
当時の小柄な東洋人の女性たちが、欧米の屈強なチームをバッタバッタとなぎ倒していく姿は人智をこえた魔法そのものであった。1962年の世界選手権では既にこの俗称で恐れられており、ソ連を下し優勝をはたしている。有名な「回転レシーブ」はこの大会で披露された。
金メダル伝説
女子バレーが正式種目として初めて採用された1964年(昭和39年)東京オリンピックにおいて、宿敵ソ連との全勝同士対決も制し、日本の団体球技に初の金メダルをもらたした。この決勝の中継を行っていたアメリカのテレビ局が、日本の攻撃の際に「The Oriental Witches(東洋の魔女)」と連呼したことから、日本では「東洋の魔女」がスーパーヒーローの如く憧れられ、空前のバレーボールブームが巻き起こった。
「サインはV」「アタックNo.1」などもこのブームを受けて誕生した。
その後の日本バレーの凋落というか世界とのレベルの差から見ても、現在は殆ど伝説となっている「東洋の魔女」だが、金メダルという記録が伝えている通り、実在していたことは事実である。
関連タグ
東レ・アローズ・・・女子バレーボール部は日紡貝塚(⇒ユニチカ貝塚⇒ユニチカ⇒ユニチカ・フェニックス)の後身。