本名 花田 光司 (はなだ こうじ)。
身長 185cm、体重161kg。
最高位は横綱。
幕内最高優勝22回。
入門から大関まで
父は元大関貴ノ花、母は女優の藤田紀子。兄に第66代横綱3代若乃花。伯父に第45代横綱初代若乃花がいる。
1988年に兄と共に藤島部屋に入門した。同期に大海(後の第64代横綱曙)、古賀(後の大関魁皇)がいる。
1989年に関取となった。さらに、1990年には新入幕を果たした。いずれも史上最年少記録である。
1991年5月場所初日に横綱千代の富士に初挑戦し、史上最年少で初金星を獲得した。千代の富士はこの2日後引退した。
1992年には、19歳5か月で初優勝を果たした。その後、20歳5か月で大関に昇進。双葉山以来となる2場所連続全勝優勝を達成し、念願の横綱になった。
横綱時代
新横綱として迎えた1995年初場所では、初日に武双山に黒星を喫するが13勝2敗で優勝した。
その後、若乃花、武蔵丸も横綱に昇進して4横綱を経験した。
しかし、2001年5月場所14日目の武双山戦で右膝半月板を損傷する大怪我を負った。周囲からは休場を勧められたが強行出場し本割で武蔵丸にあっけなく敗れ、誰もが貴乃花の優勝を諦めかけていたが渾身の上手投げで武蔵丸を破り、22回目の優勝を果たした。表彰式では小泉純一郎に痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!と称賛された。
引退
しかし、怪我の代償は大きくこの後7場所連続休場に。
休場明けの2003年1月場所8日目に安美錦に敗れ、翌日引退した。これ以降、稀勢の里が第72代横綱に昇進するまで日本出身横綱が14年間不在となった。貴乃花は功績を評価され一代年寄貴乃花を贈られた。
現在は日本大相撲協会で理事を務めているほか、貴乃花親方を軸として「貴乃花一門」を形成している。