基本データ
全長 | 1275mm |
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銃身長 | 790mm |
重量 | 3850g |
口径 | 6.5mm |
装弾数 | 5発 |
概要
近代の国産連発式小銃として設計・開発され、『日露戦争』において日本陸軍の主力小銃として活躍した。
従前より使用されていた十三年式・十八年式村田銃は、登場時こそ優秀な性能を誇っていたものの「装弾数1発」「装薬は黒色火薬」というもので、1800年代末になると旧態化が目立つようになった。とくに清国では当時最優秀の小銃であったGew88が装備されていたこと、また十八年式村田銃を近代化した二十二年式村田銃の運用実績が芳しくなかったことから、新型小銃の開発が急務となった。
開発者は、日本陸軍軍人および男爵の有坂成章中将で、日本初の国産小銃である『村田銃』の開発者である村田経芳少将の退役後の後継者でもある。
彼が開発したこの三十年式歩兵銃は、以降の日本軍で開発された多くの小銃の直接・間接的な母体となり、その系統である『三八式歩兵銃』『九九式小銃』などの小銃は、欧米では「アリサカ・ライフル(Arisaka rifle)」と呼ばれている。
構造
閉鎖はオーソドックスなボルトアクション式であるが、特に堅実さと安全性に重きをおいて設計された。
本銃を以って大日本帝国における主力小銃の機関部は完成形とされ、後継型や発展型の各銃はこの機関部を基に再設計されたものとなった。
装弾数は5発で、銃内部に設けられた箱型弾倉に納められた。これは筒型弾倉を採用した二十二年式村田銃の8発と比較すると見劣りがしたが、信頼性に難があった二十二年式村田銃と比較すると装弾のし易さや信頼性が大きく向上した。
弾薬は村田銃の黒色火薬から無煙火薬へ、口径を6.5mmとした三十年式実包が開発された。
三十年式実包は当時としてはかなり小口径であったが、7mmクラスの口径となると日本人の体格では撃ち辛くなるため、小口径の弾頭を高速で撃ち出すことで必要な威力を確保した。
後に弾頭形状を変更した三八式実包が開発されたが、本銃でも射撃が可能であった。
三十年式銃剣
三十年式歩兵銃と同時に採用された三十年式銃剣は、独特の細長いシルエットから「ゴボウ剣」と呼ばれ、「白兵戦の日本軍」の象徴となった。この銃剣は体格が欧米人に比べて極めて劣る日本人のリーチを補うために特に長く作られ刃渡り400mm、全長は512mmとされた。
三十年式小銃からは九九式長小銃までの全長が長い小銃は、着剣すると全長が1650mmを超え、白兵戦では槍のように扱えた。
刀身は白磨きと黒染の二種類が、鍔は鉤状と直線状の二種類、柄の仕上げの状態、鞘の形状などによってバリエーションは無数に存在する。
三十年式銃剣は、少しずつ姿を変えながら1945年の終戦まで主力として使用され続け、1960〜70年頃に自衛隊から執銃訓練用となった九九式小銃が完全に姿を消すとともに役目を終えた。
後継型 派生型
騎兵、輜重兵向けに歩兵銃の銃身を短く切り詰めたもの。
本銃は海軍陸戦隊向けに三十年式歩兵銃を小改良したもの。照準器の構造などが異なるほか、後に日本軍小銃の特徴となる遊底覆いや繭型の槓桿が初めて装備された。
太平洋戦争末期になると、耐用年数を超過した銃を7.7mm口径に改造した個体が現れた。
三八式歩兵銃
海軍銃の開発経験と日露戦争の戦訓を元に改良したもの。
同時に開発された三八式実包を使用する。
本銃の派生型は当該記事を参照
九九式小銃
情勢の変化によって三八式実包の威力不足が問題となりはじめたため、7.7mm口径の九九式実包を使用し、威力を増大させたもの。以前の銃と比較すると機械加工による精度が飛躍的に向上し、個体差が著しく少なくなった。
この銃の為に開発された九九式実包は、もともと九二式重機関銃で使用されていた九二式実包を歩兵銃用に改めたものであった。
本銃の派生型は当該記事を参照。