第一次世界大戦を皮切りに20世紀半ばまでの殆どの戦闘に使用された。M1ガーランドに主力の座を明け渡しつつも第二次世界大戦、朝鮮戦争でも使用され最後の奉公はベトナム戦争と息の長い装備であった。
概要
1800年代末、高初速弾を使用する小銃が世界的潮流となり、米西戦争でスペイン軍が使用したモーゼルM1893を参考にスプリングフィールド造兵廠で開発が行われた。
1903年、アメリカ軍へ支給が開始された。
1936年、後継としてM1ガーランド半自動小銃が制式採用されたが、折からの不況や平和的な状況であったために配備が進まずに、本格的な配備は1942年初頭からとなった。それまではM1903A1とM1903A2がアメリカ陸軍の主力小銃であった。
1942年、生産性を大きく向上させたM1903A3とその狙撃銃型のM1903A4が開発された。
改良を受けながら1949年まで製造され、ベトナム戦争でも使用された。
日本では警察予備隊(後に自衛隊へ改組)にアメリカ軍から狙撃銃型のM1903A4が供与され、64式小銃(狙撃眼鏡付)に更新されるまで使用された。
仕様
全長 | 1098mm |
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銃身長 | 610mm |
重量 | 3950g |
弾薬 | .30-06スプリングフィールド弾(7.62×63mm) |
装弾数 | 5発(クリップ、箱型マガジン) |
狙撃銃型
M1903A4は、M1903A3をベースに狙撃銃としたものである。ストックの形状が従来と違うものになり、アイアンサイトが省略されてスコープ以外での照準は不可能となった。
スコープはライマン社製のスコープを制式化したM73の他に、民生品をそのまま使用するなどバリエーションは多岐に渡る。
スコープの装着位置は、機関部真上に低めにセットされていた為に同時期の他の狙撃銃と比べるとかなり狙いやすかったが、マガジンは固定式でクリップ(挿弾子)を使ったリロードが出来なかった為、交戦距離が近づくと不便であった。
- 遠距離で撃ち合う場合は、マガジンには予め5発装填しておき、カットオフレバーを「OFF」にセット。 ボルトハンドルを目一杯引くと「排莢とコッキングだけされるがマガジン内の弾はリロードされない位置」で止まるようになる。 そこで村田銃のように薬室に弾を入れてボルトハンドルを戻して射撃するという手間が掛かる銃であった。 交戦距離が近づいて近距離で撃ち合う場合はカットオフレバーを「ON」にすればボルトハンドルが最後まで後退しマガジン内にセットしておいた弾が使用できた。
民生品をそのまま使用したスコープは、曇りやすくレティクルのクロスヘアを見失いやすいという問題があったため、1945年頃に純粋に軍用としたM84スコープが開発された。
一方で、狙撃銃という用途から射撃頻度を考えるとリロードは面倒ではあってもさほど問題とはならなかった為かリロードの手間が改善されることは最後まで無かった。