解説
(『大辞林』より)
もっとも、今日では紅葉狩りや桜狩りと同様、蛍の灯す幻想的な光を鑑賞して楽しむという意味に使われるケースがほとんどである。
蛍の光
NHKの紅白歌合戦のフィナーレや高校野球の閉会式で歌われ、かつては卒業式の鉄板ソングの一つでもあった唱歌『蛍の光』。
(スコットランドの民謡“Auld Lang Syne”に稲垣千頴が作詞。)
蛍の光、窓の雪
書(ふみ)読む月日、重ねつつ
何時(いつ)しか年も、すぎの戸を
開けてぞ今朝は、別れ行く
冒頭の「蛍の光 窓の雪」の元ネタは、中国の東晋の時代の故事『蛍雪の功』だと言われる。
車胤(しゃいん)という青年は家が貧しくて、夜に本を読むための灯火の油が買えなかった。
そこで夏に蛍を数十匹掴まえ絹の袋に入れ、その光で書を読むなど勉学に勤しんだ。
また、やはり貧乏だった孫康(そんこう)という青年は、冬の夜に窓辺に雪を積み上げ、雪に反射する月の光で読書したという。
後に2人とも立身出世を果たし高位の役人になった事から、古くから『苦学して成功する』という意味に用いられている。
だが、しかし…!
これらは尊い行動の様に思えるが、現実的に考えてみよう。
蛍を何十匹集めても、蛍の明かりは2〜3秒ごと点滅し一斉に光るものではない。
まして、例え満月の夜でも雪の反射の明かりで本など読めようはずが無い。加えて雪が積もる様な氷点下の気温で窓を開け放つなど自殺行為に等しい。