概要
小学校卒業後、メッキ工場などで働き、1954年に漫画家デビュー。貸本漫画を経て、1960年代後半から『月刊漫画ガロ』誌上で相次いで発表した『沼』『チーコ』『李さん一家』『紅い花』『ねじ式』『ゲンセンカン主人』『やなぎ屋主人』などの代表作(問題作)を続々発表し、漫画史の画期をなす。
シュールレアリズム風な手法を漫画に持ち込んだ『ねじ式』は国内だけにとどまらず、多くの分野にも多大な影響を与え、サブカルチャーを語る上では欠かせない革命的な地位を確立した。また「夢」とは対極にある私小説風のリアリズム描写をとことん突き詰めた『沼』『チーコ』に始まる一連の諸作も作品的評価が高い。
つげは水木しげるのもとでアシスタントをしていたことがあり、背景の描写などに水木との類似がみられる。その頃から鄙びた温泉宿や田舎町への旅を好み、ついフラッとどこかへ行くことが多かった(旅の印象をもとに描いた一連の「旅もの」は、つげ作品の中核を占める)。
1987年以降は新作を発表しておらず、家庭の事情や自身の健康問題などが重なり、漫画家としてはほぼ廃業状態だが、旧作の再版や映画化等がコンスタントに続いているため、印税収入によって生活は支えられているという。
1991年には『無能の人』が竹中直人によって映画化されている。
『ねじ式』以降は、観念的で暗い作風になっていくが、つげが描く牧歌的・叙情的なおかっぱ少女は不思議と可愛く石井輝男や押切蓮介をはじめファンの間でも人気が高い(関連イラスト参照)。
リアリズムとシュールレアリズム
つげは近年のインタビューで「現実」と「夢」の無意味性について次のように語っている。
「マンガは芸術じゃないと僕は思ってますが、まあそれはいいとして、どんな芸術でも、最終的に意味を排除するのが目標だと思っているんですよ。なので意味のない夢を下敷きにした一連の夢ものを描いたり夢日記をつけたりしていたんです。夢は誰もが経験するように強烈なリアル感、リアリティがありますから、長年こだわっていたリアリティを追求するということで夢に関心を持ち、そこから自然にシュルレアリスム風の『ねじ式』が生まれたんです。自分の創作の基調はリアリズムだと思っているのですが、リアリズムは現実の事実に理想や幻想や主観などを加えず<あるがまま>に直視することで、そこに何か意味を求めるものではないです。あるがままとは解釈や意味づけをしない状態のことですから、すべてはただそのままに現前しているだけで無意味といえますね。レアリスムもリアリズムも仏語と英語の違いで語意は同じですから現実が無意味であるとの視点は共通しているわけですね。それでいながらシュルレアリスムの画像が非現実的な夢のような趣きになるのは、現実の無意味性を徹底的に凝視し、それを直截に表現するからなのでしょう。意味がないと物事は連関性が失われ、すべては脈絡がなくなり断片化し、時間も消え、それがまさに夢の世界であり、現実の無意味さを追求するシュール画が夢のようになるのは必然なのでしょう。現実も夢も無意味という点で一致するのでシュルレアリスムもリアリズムも目指している方向は同じではないかと思えるのです」
(以上『芸術新潮』2014年1月号「つげ義春インタビュー」より引用)