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概要

お坊さんを憎いと思うと、坊さんの着ている袈裟まで憎いと思えるようになることから。

袈裟とは僧侶が左肩から右脇下にかけてまとう布状の衣装のこと。

なお英語にも似たようなことわざがあり「彼の踏む地面まで憎い」を意味するTo hate the ground he treads on.がそれにあたる。

詳細

これには怨みへの戒めが込められており、怨みの念をずっと継いで怨みを引きずると、ますます大きなものに膨れ上がってしまい、怨みの対象が何をしていても憎いと感じたり、対象に関わりあるもの全てにも憎いと感じる病のような状態となるとして、そうした心の状態を指したでもある。

怨みを引きずらないようにするには、念を継がないようにすることが大切で、手放せなければ放っておくようにし、時間の経過と共に薄らいでいくのを待つようにすることが有効であるとされている。

いつまでも引きずっているのはその怨みに縛られているということであり、その状態ではいつまで経っても自由は訪れないとされる。

諺が出来た背景

僧侶が憎まれる対象になったのは江戸時代寺請制度(檀家制度とも言う)が関連しているとされている。

戦国時代において、日本を間接的に侵略するべくキリスト教宣教師に扮した西洋諸国の間者(スパイ)が送り込まれたり、そうしてイエズス会などの修道会関係者に懐柔されたキリシタン大名や扇動されたキリシタンにより、ポルトガル商人に日本人奴隷として売り出されるという事態が起こった。

豊臣秀吉はこれを重く見てイエズス会のガスパール・コエリョを問い詰め、事態を改善すべく伴天連追放令を発令、その後江戸幕府の時代に入ると宗教統制の一環として、この制度が開始され、僧侶を通じた民衆管理が法制化された。

そのため、が事実上幕府の出先機関となり、仏教寺院本来の布教活動が疎かとなり、汚職の温床にもなったことから僧侶が憎まれる対象になったと言われている。

明治時代に入り、神仏分離令のもと神道仏教が明確に区別され、曖昧なものが廃された際は、決して仏教排斥が目的ではなかったにも関わらず、民衆の間で廃仏棄却運動が起こった。

もちろん腐敗していない仏教寺院も数多くあったであろうことから、そうした真面目なからすれば迷惑このうえない話であり、上述した事情があったにせよ、250年という長き治世を築いた徳川幕府の負の遺産と言えるものかもしれない。

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