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キリシタン大名

きりしたんだいみょう

キリシタン大名とは、戦国時代~江戸時代初期にかけて、キリスト教(カトリック)に改宗した大名たちのことである。
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概要編集

宣教師たちは戦国時代日本において布教するにあたり、各地を支配する大名たちに掛け合い、領内での布教の許可をとりつけた。

その際に当の大名たちにも伝道を行った。外国人が保有する技術や貿易の利益も魅力的であったが、キリスト教そのものに惹かれて改宗した者もいた。


この頃のキリスト教圏は各地に攻め込んで現地人を暴力支配していた頃である。よって基本的には神道仏教も当然現地人の劣った邪教と扱われるため、キリシタン大名の中には、神社仏閣を破壊する者や仏像などを冒涜する蛮行を働き、信者たちを煽動して寺社やその信者たちを襲撃させるなど暴挙に出る者が現れた。


具体的には長崎の生糸貿易を仕切っていたイエズス会が、キリシタン大名を背後から援助することで大名の権力争いに介入、それにより神社仏閣の物理的な破壊に暗黙の了解を与え、土地の寄進や寺社の破壊をキリシタン大名に行わせていた。また、これに乗じてポルトガル商人を使って日本人を奴隷として海外に売りつけていたことも発覚する。


肥前国彼杵地方を治めた大村藩で伝えられる『大村郷村記』や、ルイス・フロイスの報告などの記録書によれば、キリシタン大名大村純忠は大村家の守護神であった多羅山大権現摩利支天といった領内の神社仏閣を徹底的に破壊し、その跡地に十字架を立てて、建材をポルトガル商人に無料で引き渡したという。


同じく有馬晴信は、仏僧たちが島原半島の加津佐の海岸の祠に隠した仏像を摘発し、運び出せる仏像を搬出した後、住民の前で残った仏像を取り出して、唾を吐きかけ冒涜した挙げ句、放火して焼き尽くし薪にしたという。高山右近についても同様の事件を起こしていたことが、ルイス・フロイスの報告書にあるという。


大友宗麟も寺院の破壊や僧侶・神官の虐殺など非道を尽くしたという記録があり、筑前の秋月種実(上杉鷹山の実家の先祖)はそれについて 大友領国の老若男女がキリシタンとなって寺社を破壊し、仏・神を川に流し、薪にし、寺社の所領は没収して他の人間に給与するなど…… と批判している。


これらによって反感を覚えた仏教側や神道側の人々も反撃を加えたため、キリシタンと他の日本社会との溝は広がってしまう。

これを問題視した豊臣秀吉はイエズス会の日本準管区長であるガスパール・コエリョに詰問した。


しかしイエズス会側は対応に消極的であり、より良い返事が得られなかったことから、秀吉はやむなく伴天連追放令を敷き、江戸幕府からは危険な上に統治の邪魔にもなると判断されたため、キリスト教は禁教になり、キリシタン大名も姿を消して激烈なキリシタン狩りが始まることになった。


このような歴史的経緯から、現代日本においてもキリスト教は余り根付いておらず、クリスチャン人口は全体の1%に満たない。遠藤周作の『沈黙』では「日本は沼地である」と形容されるほどである。


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