登場の背景
東海道本線が米原まで電化するにあたり、道中の難所である関ケ原の峠を単機牽引で走破する貨物用電気機関車が求められた。1950年代当時の技術では1基あたり400kW以上の高出力電動機が開発できなかったため、既存のEF15形と同等の主電動機を8基搭載した、H級クラスの機関車として設計・開発された。
概要
1954年から1957年までに64両製造された、2車体連結8軸方式の貨物用直流電気機関車。真っ黒な塗装に細い黄帯が特徴で、その容姿と独特のブロワー音から、「マンモス」「クマバチ」という渾名が付けられた。
全長22.5m・総重量116.0tと国鉄では前代未聞の大型機であり、主台枠・先輪・デッキの廃止とボギー台車構造の採用などで重量はなるべく抑えられている。この車両構造・スタイルは後に登場する新性能電機と同様であるが、電装機器類はEF15とほぼ共通であるため、分類上は旧性能電気機関車とされている。
量産先行機
最初に登場した4機は、パンタグラフが中央寄りに2基搭載されているのが特徴。これは軽量化のために高圧電線の長さを短く抑えた結果である。しかし、架線を押し上げる力が強くなりすぎること、軽量化を徹底しすぎて重量バランスが崩れたことから、量産機は一般的な前パン配置に改められている。
高速試験機
15号機は旅客列車の120km/h運転試験機として落成し、塗装も茶色基調に、主電動機も高速仕様に改められて登場した。試験は同機を先頭にEF58同伴のもと、10系客車を牽引して行われた。
試験は目論見通り成功し、旅客用バージョンとして「EH50」も構想されたが、電車化の方が合理的と判断されたために計画は中止。なおこの試験の際には実際に特急つばめを牽引した事もあり、生涯一世一代の晴れ舞台にもなった。
運用
東海道本線と山陽本線(岡山操車場以東)、宇野線で一般貨物列車牽引にて活躍した。登場当初はコンテナ特急「たから号」といった貨物の花形運用もあったが、EF60やEF65といった完全上位互換の新性能電機が台頭すると、次第に地味な運用へ追いやられていった。それでも、8軸駆動による余力の大きさや、旧来の堅実な走行システムは高く評価されていた。
しかし、瀬野八で補機と強調運転できないため岡山以西に入れない・耐雪ブレーキやバーニア制御がないため急勾配線区に入れない・そもそも車体が大きすぎて転用が効かないことが次第に足かせとなっていった。
1975年より廃車が進められ、1981年に運用終了、1982年までに廃車された。最後まで残った61号機は、大阪市東淀川区の公園に保存されている(阪急淡路駅下車、徒歩10分)