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近衛忠熙の編集履歴

2019-04-02 10:47:25 バージョン

近衛忠熙

このえただひろ

近衛忠煕とは江戸時代末期の公家。

概要

近衛基前の子。近衛家27代当主。

プロフィール

時代江戸時代末期
生誕文化5年7月14日(1808年9月4日
死没明治31年(1898年)3月18日
官位従一位、関白左大臣
主君光格天皇仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族近衛家
父母父:近衛基前、母:松平義当の娘
正室:郁姫(島津斉興の養女)
子女忠房、常磐井堯熙、水谷川忠起、総子、尹子

経歴

安政4年(1857年)に左大臣に就任したが将軍継嗣問題で一橋派に着いたことで安政の大獄に関与したことで落飾し謹慎をする。

文久2年(1862年)に復帰し九条尚忠に代わって関白と内覧に就任。翌年の文久3年(1863年)に辞任し関白は鷹司輔煕が就任した。

明治維新後は他の公家東京に移住したが、忠煕は京都に残り篤麿の養育をした。その後明治天皇の要請に伴い東京に移る。子の忠房の死後だった。


死後に正一位が贈られた。存命人物で最後に正一位に叙されたのは三条実美(最後の太政大臣


外部リンク

近衛忠煕 - Wikipedia


関連タグ

公家 江戸時代 近衛家

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