プロフィール
経歴
座右の銘は「雑草魂」。なお「雑草魂」は、同じ年に西武へ入団した松坂大輔の「リベンジ」と共に、1999年に流行語大賞に選ばれている。
東海大仰星高校時代は建山義紀の控えで、公式戦の通算登板機会は僅か6回1/3。主に練習での打撃投手をしていた。
その後、1浪して大阪体育大学に入学。主力投手として在学中に阪神大学リーグで5度の優勝
に貢献。通算36勝のリーグ記録を残す。
3年生時には日本代表に選出され、インターコンチネンタルカップの決勝戦でキューバ代表から勝ち星を挙げ、同国がそれまでに続けていた連勝を151で止めている。
キューバ戦での勝利や大学時代の通算36勝などから注目され、MLBのアナハイム・エンゼルスも獲得に乗り出すなど、日米の複数球団による争奪戦になったが、1998年ドラフト1位で読売ジャイアンツを逆指名して入団、背番号は「人生で最も辛い時期を送った19歳の時期を忘れない」意味を込めて「19」となった。
翌1999年、1年目で20勝を挙げる活躍を挙げる。20勝目がかかっていた10月5日には、ロベルト・ぺタジーニを敬遠し、勝負できない悔しさからマウンドを蹴り、涙を流した。
その後も読売ジャイアンツの先発投手として、球界を代表する投手として活躍。国際野球に至っては無敗を誇った。
2008年にFA権を取得し、オフに行使。翌2009年にボルチモア・オリオールズと2年契約を結び、同球団初の日本人選手になった。当初は本人の希望もあり先発投手だったが、2010年にはクローザーとしての活躍が評価され、再契約に合意した。
2011年にテキサス・レンジャーズに移籍、当初は先発投手として期待された。しかし中継ぎとして臨んだポストシーズンでは登板した3試合全てでホームランを打たれてしまう。チームはワールドシリーズに進出したものの上原は登録メンバーから外されてしまい、レンジャーズもシリーズ制覇を逃した。
2013年にボストン・レッドソックスへ移籍。クローザーとして開幕から注目され、5月にはハイタッチを扱ったCMも登場。そしてア・リーグ優勝決定戦でMVPに選ばれた。ワールドシリーズでも歴代最多タイの7セーブを挙げ、世界一に貢献した。
2017年はシカゴ・カブスでプレー。49試合に登板したが、単年契約であることと年齢面からオフにFAとなった。このシーズンオフはMLBではFA市場が停滞しており、オファーがなければ引退することも考えていたが、2018年に古巣の読売ジャイアンツの一員として日本球界へ復帰。2018年7月20日の広島戦で史上二人目となる100勝100セーブ100ホールドを記録した。
シーズンオフ後の10月、左ひざのクリーリング手術を行い、2019年シーズンは自由契約を経て巨人と再契約するも、開幕後は1軍での登板が無く、2軍での登板も本来の球威を取りもどせず。その後5月19日、シーズン途中での現役引退を表明した。
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- 日本人メジャーリーガー一覧
- 引退したプロ野球選手一覧
- 高橋由伸:同生年月日の同期。2018年に監督と現役選手という立場で再び合流した。
- 建山義紀:北海道日本ハムファイターズで活躍していた中継ぎ専門の投手、東海大仰星高校の同期でテキサス・レンジャーズではチームメイトだった。また、高校時代の同級生にはラグビー元日本代表選手の大畑大介もいる。