人物
少年誌に描かれた戦車や軍艦、ロボットに心を躍らせ模型を作っていた少年だったという。
イラスト、模型両方でデザインを行うだけではなく、画材が違っても同じ彩色表現ができる数少ない人物であるといわれる。
親しみやすい豪快な人物であるといわれ、根は体育会系であり現役で草サッカーをプレイしているという。とり・みきが氏の作品集に寄稿した短編では、唐草多脚メカで訪れた先でテニスを親しんでいる様子が描かれている。
武蔵野美術大学日本画学科で学び、在学中に『状況劇場』や『天井桟敷』などの舞台美術に関わり、平面を立体的に見せる技術を身に着ける。
その後『SFマガジン』誌でイラストレーターとしてデビューし、雑誌や広告でイラストのみならず立体造形作品も数多く発表し、1982年に『月刊ホビージャパン』誌で発表した単なる作例であったパワードスーツのオリジナル造形ストーリー『A.F.S.』の完成度の高さに驚いた編集者によって、急遽『S.F.3.Dオリジナル』という造形物を写真撮影して物語る「フォトストーリー」という手法でのSF戦記物の連載を開始することになった。
本作で発表されたメカニック群は、様々なプラモデルなどのパーツを組み合わせたミキシングビルドという手法で製作され、卵のような独特な曲線で構成されたバキュームフォームで造られたパーツも多く用いられている。
造形されたものを元にイラスト化、イラストが描かれたものを元に造形物を製作、さらにイラスト化と2Dと3Dを行き来する独自の手法をとることでも有名である。
そうして製作されたオリジナリティにあふれたSF兵器群は人気となり、1984年にはあまり例を見ない模型発として日東科学より製品化され好評を博したが、高価で希少であったためモデラー垂涎のアイテムであった。
その後『ホビージャパン』での展開が終了し、紆余曲折あり『モデルグラフィック』誌において「マシーネンクリーガー」と名を変え継続することになった。
この作品は現在でも国内外に多くのファンを持つ。
氏の作例や連載を見ていた世代がクリエイターとなり、映像作品やゲームなどでデザインを依頼されることもあるという。
日本SF作家クラブに「日本SF大賞」のトロフィー、「手塚治虫文化賞」の鉄腕アトムをモチーフとした賞碑のデザインも担当している。
代表作
オリジナル
映画
- 平成ゴジラシリーズ
- ファイナルファンタジー