Toyota Celica
トヨタが1970年から2006年にかけて製造・販売されていた2ドアまたは3ドアクーペ、またはソフトトップカブリオレ。日本での販売店はカローラ店だった。かつてスープラやカムリがカローラ店専売車種だったのは、これらは元々セリカの派生車種であるからである。一方、初代から4代目まではカリーナのクーペバージョン(ただしカリーナはトヨタ店扱い)だった。
またセリカ・カリーナは、コロナと徐々にエンジン等を共用化し「3兄弟化」で共存していった。
ラリーをはじめとしたモータースポーツでの実績も決して少ないわけではない、どころか1990年には帝王ランチアを破って日本車として初めてWRCチャンピオンに輝き、パイクスピークも1994・1996年・1997年と3度総合優勝を果たした車両である。しかしラリーベースという観点ではランエボやインプレッサにばかり人気が集まる上、セリカは1995年にST205で一年間の出場停止処分を受ける燃料リストリクター違反と言う大失態があって、クルマ好きからその栄光をひた隠しにされてきた。
またスポーツカーではなくあくまでスペシャリティカー(スポーティカー)ゆえ中古車価格もそれほどではない。
ただしバリバリにチューニングをする上でのベース車としての素性は優れていることは、市販車に近いグループA時代のWRCで勝っていることからも分かるとおり。また3S-GTEエンジンは米TRDチューンにより、パイクスピーク仕様で850馬力を発生したほどである。
スポーツカーとしての人気や戦闘力という点ではランエボやインプに及ばないのは前述のとおりだが3S-G系エンジン搭載車という括りで見てもMR2やアルテッツァにばかり人気が集まっているのが現状であり、上記の戦績を考えると不相応な冷遇とも言える扱いを受けている。コレに関してはとあるセリカの専門書において「市販車状態ではあくまでスペシャリティカーであり、スポーツカーになりきれていないのが原因(逆に言えば軽量化一つとってもラグジュアリー要素が多いため軽量化の余地は少なくない・・・など、本気で作り込めば大バケする)」と解釈できる文言も見られた。
ただし初代セリカは日本におけるスペシャルティーカー市場を切り拓いたり、4代目セリカは映画『私をスキーに連れてって』でバブル時代の若者たちのハートを掴むなど、クーペが「デートカー」と呼ばれていた時代の、走り屋系以外の若者たちの青春文化を彩どってきたことは間違いない。
関連車種には上記のカムリ、スープラ、カリーナの他にプラットフォームを共用するカリーナED/コロナEXiV、基本的に輸出仕様のみに設定されていた200系2ドアの日本仕様車であるカレンなどがある。
2012年に86が発売されるまで、このクラスのクーペは日本で販売されていなかった。一方、アメリカでは同社の若者向けブランド「Scion(サイオン)」から事実上の後継車種であるtCが販売されていた。これはカナダからの逆輸入車であった三菱エクリプスとは違い、愛知県の工場で生産されていた。日本の法規に合わせた最低限の修正だけ行って、いっそのこと左ハンドルのまま数量限定販売するという選択肢もあると思うのだが、という意見もあったが、結局86の発売の4年後の2016年を持ってtCは廃止されている。