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平教経の編集履歴

2020-06-19 19:24:17 バージョン

平教経

たいらののりつね

平安時代末期の平家一門の武将。
  1. 遮那王義経』の源平の合戦編に登場するキャラクター(メイン画像)。

概要

平忠盛の四男・平教盛の次男。平通盛の弟。初名は国盛。

最終官位は正五位下能登守、通称「能登殿」

吾妻鏡』では一の谷の合戦で甲斐源氏の安田義定の軍勢に討たれたとされる。

しかし『平家物語』では、数々の合戦において武勲を上げ、「たびたびの合戦で一度の不覚も取ったことはない」「王城一の強弓精兵」と言われる平家随一の猛将であり、源義経のライバル的存在として描かれている。

特に「六箇度の合戦」における活躍は目覚ましく水島で矢田義清(足利義康の長男。細川氏や仁木氏の祖)、淡路で源義久(源為義の四男・頼賢の子)や源義嗣(源為義の五男・頼仲の子)を打ち破り福原再上陸の立役者となった。

 最期は壇ノ浦の戦いで義経を追い詰めるも八艘跳びで逃げられ、源氏の武士(どのくらい強いかというと30人力と称され、同じくらいの強さの部下と3人がかりなら身長18mの鬼すら倒せるなどと噂が立っていたほど)二人を道連れに、海に飛び込んで亡くなったとされるが、諸説があり、祖谷に落ち延びてその地で没したとも云われる。


関連人物

海御前 - 妻。この人物(もしくは母親)は、四国・九州に伝わる河童の妖怪だという伝承がある。

唐沢寿明…1991年の日本テレビ年末時代劇「源義経」で教経を演じた。

関連タグ

日本史 歴史創作 源平 平安時代 武将 怪力

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