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平教経の編集履歴

2023-05-11 16:03:30 バージョン

平教経

たいらののりつね

平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の弟・教盛の次男。「能登守教経」「能登殿」の呼び名で知られる。

メイン画像は『戦国大戦TCG』における教経。


概要

プロフィール

生没:永暦元年(1160年)~不明※

※寿永3年2月7日(1184年3月20日)説、元暦2年3月24日(1185年4月25日)説などがある。


諱:国盛→教経

官位:正五位下能登守、民部大輔

通称:能登殿

父:平教盛平忠盛の四男)

兄:平通盛

弟:平業盛、律師忠快


履歴

平教盛の次男。『吾妻鏡』ではさほど目立つ武将ではなく一ノ谷の合戦甲斐源氏安田義定武田信義の叔父または弟)の軍勢に討たれ、その首は兄弟の通盛や業盛を始め同じように討たれた一門と共に獄門に掛けられた。壇ノ浦の戦いの戦死者や捕虜の名簿にも名前がない。

しかし、『玉葉』で九条兼実が首渡しの際に偽首疑惑の風聞があったことに触れ生存説が唱えられ、『醍醐雑事記』では壇ノ浦の戦死者の一人に数えている。また四国の祖谷に落ち延びてその地で没したとも云われている。

赤間神宮(山口県)の「七盛塚」には「副将能登守教経」として祀られており(教経を国盛と扱えば)七盛の一人である。


平家物語』での活躍

数々の合戦において武勲を上げ、「たびたびの合戦で一度の不覚も取ったことはない」「王城一の強弓精兵」と言われる平家随一の猛将であり、源義経のライバル的存在として描かれている。


  • 平家都落ち後、水島で矢田義清(足利義康の長男。細川氏や仁木氏の祖)を撃破して源義仲の野望を頓挫させた。(巻第八「水島合戦」)
  • 伊予で河野通信、淡路では源義久(為義の四男・頼賢の子)と源義嗣(為義の五男・頼仲の子)らを打ち破り福原再上陸の立役者となった。これらの合戦を「教経六ヶ度の合戦」と呼ばれた。(巻第九「六ヶ度軍」)
  • 屋島の戦いで義経の家臣・佐藤継信を射殺するが、従童の菊王丸を継信の弟・忠信に討たれてしまう。(巻第十一「嗣信最期」)
  • 壇ノ浦の戦いでは義経を追い詰めるも八艘跳びで逃げられ、覚悟を決める。そして最後はいずれも30人力と称され、3人がかりなら身長18mの鬼すら倒せるなどと噂が立っていた安芸太郎・次郎兄弟及びその従者と戦う。教経は従者を真っ先に海へ蹴り落とし安芸兄弟を両脇に抱え「いざうれ、さらばおのれら、死途の山の供せよ!」と叫び入水。享年26歳。(巻第十一「能登殿最期」)

関連人物

海御前…妻。この人物(もしくは母親)は、四国・九州に伝わる河童の妖怪だという伝承がある。


フィクションにおける平教経

平家物語では義経最大のライバルと位置付けられているが、意外にも源平時代を扱ったNHKのドラマでは『武蔵坊弁慶』を最後に登場していない。

演:山口崇…壇ノ浦の戦いで平家物語のままに義経を追い詰めるも逃げられ、安芸兄弟を道連れに海に没す。

演:鷹市太郎

演:高杉亘…登場は壇ノ浦の戦いだけであったが、脚本が後述の「源義経」と同じ杉山義法である為か、義経の八艘跳びに翻弄され、安芸兄弟に背後より刺されるも、そのまま両者の首を脇に抱える様にして海に没して最期を遂げるのは同じである。

  • 源義経』(1991年日本テレビ年末時代劇)

演:唐沢寿明…義経最大のライバルで鞍馬、一の谷、屋島、壇ノ浦と義経を何度も追い詰める。

関連タグ

日本史 歴史創作 源平 平安時代 武将 怪力

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