「人間は考える葦である」という言葉にもある通り、卓越した頭脳以外にとりえがないとされるホモ・サピエンスだが、「投げる」能力に関してはあらゆる生物の中で最も優れている。
この能力を最大限に活かし、人類を食物連鎖の頂点までのし上がらせた強力な攻撃方法が投石である。
アウトレンジから投げつけられる石や槍の前に、マンモスやサーベルタイガーといった大型動物たちはなすすべもなく絶滅していったと考えられる。
訓練を積んでいなくともこぶし大の石を全力投球すれば充分な殺傷力を実現することができる上に剣や槍とは比べ物にならない間合いを得ることができる。おまけに武器はその辺にいくらでも転がっており、剣、槍よりも調達がはるかに簡単だ。
その威力は弓矢の時代、更には銃の時代に突入して以降も簡便さと合わさって重宝されており、鎌倉・室町時代の京には『印地の党(印地とは広義だが投石の事)』という投石のプロ集団が存在し、戦国時代には投石隊が用いられていた記録も残っている。
そして、「第三次世界大戦では何の兵器が使われるかわからない(が、おそらく核が使われる)。そして第四次世界大戦では人間は石と棍棒で戦争するだろう」とアインシュタインが警告するほど石は原始的でコストがかからず、手軽で、殺傷力を備えた武器である。
その他
投石は現代においても暴動や軽犯罪だけではなく、処刑方法の1つとしても利用されている。
それが、イスラム圏で古代より行われている石打の刑である。この刑は主に不倫や同性愛などの罪を犯した者丹下される刑であり、受刑者の腰から下を生き埋めにし、それを群集が取り囲み、こぶし大ほどの大きさの石を投げつけ、受刑者を死に至らしめる。
残虐な刑罰であるため、欧米諸国からは批判の声があがっている。
どうやら古代から投石刑は問題視されていたらしく、有名な聖書のエピソードに「罪の女」がある。
ある時、姦通罪で石打ちにされそうになった女をイエスは庇って「この中で罪を犯してはいない者だけが石を投げなさい」と言った所、石を投げようとしていた者は己の愚かさを反省したのか次々に去っていたというものである。(当時主流だった旧約聖書では姦通罪は重大な罪だった)
教訓に関しては諸説あり、「他人を大義名分や正義感で捌く前に己の罪を省みよ」だとか、「罪を犯さぬ人間はいない」などの戒めに使われる。人は皆罪人というキリスト教の価値観が現れているエピソードである。
関連項目
ダビデ…まだ名もない羊飼いだった頃に、投石によってペリシテ人の巨人ゴリアテを討ち取りペリシテ軍を敗走させた。