概要
プロ野球において、顔面、頭部といった個所に危険な軌道の投球をした投手への退場の制裁。故意死球は論外として、コントロールが定まらなかった偶発的なケースでも適用されることもある。
かつては、頭部への死球が生じても、審判団より警告が発せられて試合を再開する程度に留まっていたが、1994年5月11日に神宮球場で開催されたヤクルトスワローズと読売ジャイアンツとの試合における、死球がきっかけで生じたトラブル(後述)を機にセ・リーグでは危険球退場が制定され、後にパ・リーグでもセ・リーグの基準に従って危険球退場が導入された。
発生時の詳細
2回表にヤクルト先発・西村龍次投手の投球が、巨人・村田真一の側頭部へ直撃してしまい、村田は脳震盪によりそのまま負傷退場となった。すると、3回裏には巨人先発・木田優夫投手が西村の臀部へボールを当ててしまい、ヤクルト監督・野村克也が報復行為とみなして激怒。さらに、7回表に西村が投げたインハイボールがダン・グラッデンの頭部をかすめ、グラッデンは倒れ込みながらかろうじてかわしたものの激昂。マウンドの西村に詰め寄ろうとしたため、中西親志捕手が止めようとしたが、グラッデンはその勢いのまま中西に食って掛かり、殴り合いとなったことで、遂に両軍が入り乱れる大乱闘に発展した。中西とグラッデンは暴力行為で退場、西村も乱闘の原因となる危険投球を行ったとして退場となり、後にグラッデンと西村は2人揃って出場停止処分が下される。中西もこのときのケガが遠因でその後の成績は振るわなかった。