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上原浩治の編集履歴

2021-01-03 13:05:11 バージョン

上原浩治

うえはらこうじ

大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。

プロフィール

出身大阪府寝屋川市
出身校東海大仰星高校(大阪)-大阪体育大学
生年月日1975年4月3日
身長・体重188cm、89kg
投球・打撃右投右打
守備位置投手
プロ入り1999年ドラフト1位

経歴

東海大仰星高校時代は建山義紀の控えで、公式戦の通算登板機会は僅か6回1/3。主に練習での打撃投手をしていた。

その後、1浪して大阪体育大学に入学。主力投手として在学中に阪神大学リーグで5度の優勝に貢献。通算36勝のリーグ記録を残す。

3年生時には日本代表に選出され、インターコンチネンタルカップの決勝戦でキューバ代表から勝ち星を挙げ、同国がそれまでに続けていた連勝を151で止めている。


キューバ戦での勝利や大学時代の通算36勝などから注目され、MLBアナハイム・エンゼルスも獲得に乗り出すなど、日米の複数球団による争奪戦になったが、1998年ドラフト1位で読売ジャイアンツを逆指名して入団。

翌1999年、ルーキーでいきなり20勝を挙げ、新人王や沢村賞などタイトルを総なめにする活躍を挙げる。20勝目がかかっていた10月5日には、ロベルト・ぺタジーニを敬遠し、勝負できない悔しさからマウンドを蹴り、涙を流した。

その後も読売ジャイアンツの先発投手として、球界を代表する投手として活躍。国際野球に至っては無敗を誇った。


2008年にFA権を取得し、オフに行使。翌2009年にボルチモア・オリオールズと2年契約を結び、同球団初の日本人選手になった。当初は本人の希望もあり先発投手だったが、2010年にはクローザーとしての活躍が評価され、再契約に合意した。

2011年にテキサス・レンジャーズに移籍、当初は先発投手として期待された。しかし中継ぎとして臨んだポストシーズンでは登板した3試合全てでホームランを打たれてしまう。チームはワールドシリーズに進出したものの上原は登録メンバーから外されてしまい、レンジャーズもシリーズ制覇を逃した。

2013年にボストン・レッドソックスへ移籍。クローザーとして開幕から注目され、5月にはハイタッチを扱ったCMも登場。そしてア・リーグ優勝決定戦でMVPに選ばれた。ワールドシリーズでも歴代最多タイの7セーブを挙げ、世界一に貢献した。

2017年はシカゴ・カブスでプレー。49試合に登板したが、単年契約であることと年齢面からオフにFAとなった。このシーズンオフはMLBではFA市場が停滞しており、オファーがなければ引退することも考えていたが、2018年に古巣の読売ジャイアンツの一員として日本球界へ復帰。2018年7月20日の広島戦で史上二人目となる100勝100セーブ100ホールドを記録した。

シーズンオフ後の10月、左ひざのクリーリング手術を行い、2019年シーズンは自由契約を経て巨人と再契約するも、開幕後は1軍での登板が無く、2軍での登板も本来の球威を取りもどせず。その後5月19日、シーズン途中での現役引退を表明した。


引退後はタレントやコメンテーター、野球評論家として活動する一方、2020年にYouTube「上原浩治の雑談魂」を開設。SNSやウェブサイトも持っており、積極的に情報を発信している。


プレイスタイル

最大な武器は制球力と球のキレ・ノビの良さで、「キャッチャーミットを構えた所に寸分違わず投げ込んでくる」と称されるほど。制球力の目安となるK/BB(奪三振÷与四球で求められる値で、1つ四球を出すまでに奪う三振の数)の高さと与四球率の低さは古今東西な名だたる名投手を抑えて断トツを誇り、文字通り「奪三振が多いのに四球が少ない」投手である。

また、一見投球フォームは平凡に見えるが、実際には球の見極めを難しくさせる工夫が随所に凝らされており、名だたるメジャーリーガーからは「速さと勢いをスピードガンの数字以上に感じた」と言わしめた。

更に、全く同じフォームでストレート(フォーシーム)と数種類のフォークボールを投げられる上、その球もスピンレート(ボールの回転数)が高く、球のキレ・ノビの良さにつながっている。

故にスピードガンの数字は140キロ前半でさほど速くないが、前述された球のキレ・ノビによって非常に打ちにくい投手として知られ、メジャーリーグでは「球が遅いクローザー」「最もイライラさせられる投手」として君臨。特に世界一に輝き日本人初となるワールドシリーズ胴上げ投手となった2013年シーズンは「スプリットを投げるヨーダ」「ストライクを取る機械」などあらゆる形容で絶賛された。

投球間隔も短く、巨人で先発をしていた頃は2時間以内で終わらせた試合もあった。


人物

座右の銘は「雑草魂」。なお「雑草魂」は、同じ年に西武へ入団した松坂大輔の「リベンジ」と共に、1999年に流行語大賞に選ばれている。

2018年を除いて、背番号は一貫して「19」。これは「人生で最も辛い(大学受験に失敗して浪人した)19歳の時期を忘れない」意味が込められている。

歯に衣着せぬ言動があり、野球界やメディアのみならず古巣である巨人に対する批判や非難も全く厭わないことから、巨人やジャパン球界からの指導者オファーの依頼は全く来ない。


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