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ダイタクヘリオスの編集履歴

2021-05-22 21:17:46 バージョン

ダイタクヘリオス

だいたくへりおす

JRAの元競走馬・種牡馬。(サムネ画像左)

※本馬をモチーフとした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘についてはダイタクヘリオス(ウマ娘)参照。


1987年4月10日生まれ。父ビゼンニシキ、母ネヴァーイチバン。通算35戦10勝。


現役時代は気性難の曲物でネタ馬だった事で有名、惨敗も何回かあり極端な馬だった。


1989年にデビュー。阪神3歳ステークス2着。

1990年スプリングステークス11着、クリスタルカップで重賞初制覇。マイルチャンピオンシップ17着、スプリンターズステークス5着。


1991年マイラーズカップで5馬身差のレコードタイムで圧勝し重賞2勝目。安田記念2着、高松宮杯(当時芝2000mのGII)でダイイチルビー(画像右)の母子3代同一重賞制覇を阻み重賞3勝目、スワンステークス9着、マイルCSでGI初制覇、有馬記念5着。


1992年マイラーズCで負担重量60kgながら5馬身差圧勝で連覇し重賞5勝目。安田記念6着、宝塚記念5着、毎日王冠レース前騎手を振り落としたがレースではレコードタイムで逃げ切り重賞6勝目、秋の天皇賞ではメジロパーマーとの逃げ争いで失速し8着、マイルCS史上2頭目の連覇、スプリンターズステークス4着、連闘して臨んだ有馬記念では再びメジロパーマーと共に逃げ12着(パーマーは1着)。


ライバルのダイイチルビーとは5勝3敗で、上述のマイル戦線を中心にライバル関係を築き、漫画『馬なり1ハロン劇場』でも題材にされたり、ゲーム『ウイニングポスト』でも架空の産駒であるファーストサフィーが登場したが、現実では夢の配合は実現しなかった。


種牡馬としてダイタクヤマトなど輩出。


岸騎手の代表的騎乗馬。


2008年12月、永眠。

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