概要
ウォーエンブレムとは、アメリカの二冠馬である。
プロフィール
生年月日 | 1999年2月20日 |
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没年月日 | 2020年3月11日 |
英字表記 | War Emblem |
性別 | 牡→騙 |
毛色 | 青鹿毛 |
父 | Our Emblem |
母 | Sweetest Lady |
母の父 | Lord at War |
競走成績 | 13戦7勝 |
生涯
現役時代
アメリカ三冠の内ケンタッキーダービーとプリークネスステークスを制した成績を持つ、競走馬としては申し分のない馬だった。
種牡馬入り後
時は2002年、あのサンデーサイレンス逝去の頃。サンデーサイレンスの血統があふれかえっている日本では、それを持たない血統の種牡馬の導入が急務となっていた。
また、非サンデーサイレンス系として注目されていたエルコンドルパサーやエンドスウィープが相次いで亡くなり、その代わりも探さなければならなくなっていた。
一方そのころ、ウォーエンブレムは馬主だったサルマン殿下が死亡し、管財人によってセリにかけられていた。
そんな訳で直系こそミスタープロスペクター系であったが後は異系の塊の(サンデーサイレンスもそうだったけど)であったウォーエンブレムは社台ファームに見込まれ、21億円もの大金で輸入された(サンデーサイレンスは16億5000万円)。
で、さあ種付けとなった訳だが、これがやってくれない。
1年目から種付けを拒み続け、交配したのはたったの7頭。商業ベースでの種付けは無理だと判断され、シンジケートも初年度で解散してしまった。
しかも、興味を持った相手が「栗毛で小柄な牝馬」ばかりだったもんだから、すっかりロリコンキャラが定着してしまう事に。
しかも、種付け出来たらその産駒はよく走るため、おいそれと手放すわけにもいかず、完全に生殖不能という訳でもないので保険金も満額おりないという、かなりビミョーな立場になってしまった。
2年目は、転地療養として釧路に移し、彼好みの牝馬で欲情させて別馬にすり替えるという方法で50頭近く確保したが、その事がばれてすぐさま種付け拒否モードに突入。3年目は9頭になってしまい、
6年目となる2008年、ペンシルベニア大学のマクダネル博士による治療を受け、1日1頭ペースまで回復。
その年は39頭、翌年に43頭を確保したがそこまでで、また翌年は5頭になってしまった。
それ以降、陣営はこれ以上は難しいとしてウォーエンブレムの種牡馬引退、故郷のアメリカでの功労馬入りを決定した。
種牡馬引退後
そんなんだから2015年にアメリカに帰されたが、アメリカ入国前に大きな壁が立ちはだかった。
税関における「馬伝染性子宮炎」の検査である。
この病気は、馬の性感染症とでも言うべきもので、主に交配によって感染する。有効なワクチンや薬が開発されていないため、一度馬産地に流入すると一気にその地域の馬産を壊滅させてしまうような恐ろしい病気なのである。
しかも厄介なことに、牡馬は菌を持っていても無症状なのだ。
そのため、アメリカは輸入されるすべての牡馬に対し、馬伝染性子宮炎の検査を義務付けていた。その内容は、2頭の牝馬に試験的な種付けを行うというもの。
そこでもいつものように種付けを拒み、ついには苦肉の策として種牡馬として一番大事なはずのもんを失う羽目に。
その後は、ケンタッキー州ジョージタウンの功労馬繋養施設「オールドフレンズ」で余生を送っていが、2020年3月11日、小腸破裂のため21歳で死亡。
名競走馬であり、迷種牡馬として名をはせたウォーエンブレムはこの世を去った。
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サンデーサイレンス…ある意味ウォーエンブレムの災難の原因。