概要
FV214コンカラーとは、イギリスがソ連の重戦車であるIS-3に対抗するために作られた重戦車である。
開発経緯
第二次世界大戦中、イギリス軍はドイツの重戦車であるティーガーⅡに対抗するためにA41と同時にA45重戦車というものを開発していた。
このA45は終戦までに間に合わず、なんと試作車の完成が1948年であった。ご存知の通り、戦争が終結したのは1945年の8月15日(国によっては9月2日や9月3日)、対独終了は同年5月9日である。
戦争も終わり、虎が牙を剥いてくることも無くなったために計画は1949年に中止され、A45の設計の発展型であるFV201重戦車の設計も中止となった。
その後冷戦が激しくなる中、1945年の対独戦勝記念パレードにてソ連が持ってきたIS-3を相手に戦った時、センチュリオンの20ポンド砲では相手にならないのでは無いか?と考えた英国紳士達はそれに対抗可能な重戦車の開発を決定した。A45、FV201の計画を発展させて設計された戦車こそがFV214コンカラーである。
設計、完成
主力戦車となるセンチュリオンの火力支援を目的とする重戦車というコンセプトのもと設計が進められ、本車の車体にセンチュリオンMk.3の砲塔を乗せた戦車であるFV221カーナヴォンを用いた試験などを経て、新しい砲塔を乗せた試作車両が1950年についに完成した。
その後
無事完成したのはいいものの、その試作車のテストやそのテストで見つかった不具合の改良などに時間がかかり、試作車完成から5年後に量産と命名が決定された。
元はFV214とばかり呼ばれていたが、この時に初めてコンカラーという名がつけられた。
この『コンカラー』という名前は征服者という意味で、「征服王ウィリアムI世」のことを指す。
ついに完成し、FV214コンカラーMk.1との名前が決まり、量産が決定したためソ連など怖くない!...と言いたかったのだが、この時点でIS-3の登場からすでに10年経ってしまっており、さらにソ連はIS-3の後継車両であるT-10(IS-8)が登場していた。
さらに重戦車というもの自体がいらない子とされ始め、生産は1958年までの3年間で終了してしまった。
生産中止が言い渡されるまでにある程度配備は進んでおり、当時としては進んだ射撃統制装置を搭載し、55口径120mmライフル砲による火力と重戦車ならではの重装甲による防御力を誇っていたが、センチュリオンが105mm砲を搭載可能となったため、火力的にも「コンカラー使う必要なくない?」とされ、センチュリオンと後継車両であるチーフテンへの更新が始まった。
その結果、3年間に生産された改良型のMk.2含め試作車除く合計180両の英国紳士たちは1966年までに退役した。
幸か不幸か実践を経験することなく退いた。
退役したコンカラーはスクラップとして売却されるか、射撃訓練の標的となった。
ただ、現在も同志と同じくイギリスにあるボービントン戦車博物館のイギリス鉄鋼業館にレストアされて稼働状態で(!?)展示されている。
もしイギリスに行くようなことがあった場合は訪れてみてはいかがだろうか。
スーパーコンカラー
この世には様々な戦車ゲームがあるが、その中のいくつかのゲームにおいて『スーパーコンカラー』なるものが存在していることをご存知だろうか? 実際に持っており、愛車として運用している者も多いだろう。
見コンカラーの砲塔や車体上部に増加装甲を取り付けたような戦車だ。
このような名前で呼ばれたことはないが、現実にも存在している。
この車両はソ連のT-10に対抗して強化されたコンカラー... というわけではなく、
単に射撃訓練の標的となったコンカラーのことである。無論配備もされてない。
ロマンもクソもあったもんじゃない答えだが、上記の通り、重戦車はいらない子とされたため、これ以上コンカラーを強化しようとしたり、新しい重戦車を生産しようとするほどイギリス軍は馬鹿ではない。なお
では、なぜ標的用のコンカラーに増加装甲を取り付けたのかというと、成形炸薬弾の一種である対戦車榴弾、通称HEATに対して空間装甲はどの程度役に立つかの試験のためである。
実戦での使用を想定していなかったため、空間装甲が邪魔で砲塔側面に付いているスモークランチャーが使用不可となっていたりする。
ロマンもクソもない事実だがかっこいいのは確かである。歴史にifはないというが、実際に実戦に出た場合どうなるか気になるところである。(くどいようだが、本当にコンカラーに増加装甲をつけただけの戦車である。)
関連タグ
センチュリオン←一時期頭だったもの。
FV221カーナヴォン←センチュリオンの頭をつけたコンカラー
FV4005←同志その1
M103重戦車←他国の同志その2
IS-3←実質的な生みの親
T-10←コンカラー完成時の敵さん