史上最後の重戦車
当初は時のソ連最高指導者ヨシフ・スターリン(Iosif Stalin, IS)の名を冠し「IS-8」と名付けられていたが、ニキータ・フルシチョフによる一連の「スターリン批判」の後、重戦車(Tyazholyy tank)の頭文字をとった「T-10」に改称された。
車重は前任のIS-4と比べて10トンほど軽い50トンで、相対的に走行性能に優れたため、ソ連陸軍の機動力を重視する姿勢に適合した。
また、最大250mm厚にも達する強固な重装甲を有したが、搭載するD-25TA 122mm砲の火力は第二次世界大戦中のIS-2とからさほど向上しておらず不足気味だった。
しかし、1957年以降の改修型「T-10M」では、主武装が2軸砲安定装置付きのM-62-T2S 122mm砲へ換装された上に強力な成形炸薬弾を扱えるようになり、当時最強クラスの火力を得た。
ただ、驚異的な速度で進化する戦車砲や対戦車ミサイルに対して、T-10の防御力は次第に陳腐化。
機動力もソ連陸軍の主力たるT-54には及ばず、その存在価値は薄れていった。
結果、1954年から1966年の間に戦後開発の重戦車として最多の約1,400輌が生産されはしたが、実戦参加は1968年のチェコ動乱のみで他国に輸出されることもなく、後継車の完成を待たずに1990年代には退役を迎えた。
派生型
- オブイェークト268(Объект 268)
砲塔が除かれ車体は大型化、正面のみ照準可能な152mm砲を搭載する自走砲。試作のみ。